ヴィーナス

「ルパン!!見つけた!!」

スイートルームのドアを、その品格に全く似つかわしくなく荒々しく開けてしまった。普段の私なら絶対にそんなことはしないのに、その時の私はその瞬間、たぶん人生で一番興奮していた。気づいた時には、ドアは大きな音を立てて廊下の壁にぶつかっていた。しまったと思って一瞬ドアを見遣り、壊れたりしていないかどうか外を確認しようか一瞬だけ迷って、やっぱり後にしようと部屋の中に目を向けたのだけれど、目の前の光景を見て私はやっぱり後悔した。

ルパンと次元と、不二子までもが突然入ってきた私に驚いて拳銃を構え、一番手前では、時代劇から抜け出したお侍さんみたいな格好をした男が、私に刀を突きつけていたのだ。私は思わずホールドアップの姿勢をとってしまった。

「……」

「……」

お互いに固まること数秒、拳銃を構えたままのルパンが恐る恐る口を開いた。

「…とっつあんかえ?」

「…どこをどう見たら銭形警部に見えるのよ」

「…本当に美奈子ちゃんかえ?警察には何もされなかったのかえ?」

「…なんだったら確かめてみる?」

口から出るままに挑発してみると、途端に鼻の下を伸ばしたルパンが、恐ろしいほどの速さで飛び掛ってきた。これは避けきれない、と思った瞬間、目の前でお侍さんが刀の切っ先を翻した。

「お主、ここで死にたいか」

その台詞まで時代劇調な所に、私は守ってもらったのだということも忘れて唖然としてしまった。ルパンは、この人をどこから連れてきたのだろう?まさか、タイムスリップまでして江戸時代から連れて来た?ありえない展開もあの人間ならやってのけそうで、かなり怖い。

喉元に日本刀を突きつけられたルパンはさすがに固まり、一歩下がって落ち着きを取り戻すと銃をしまった。

「いやぁ…あまりにも勢いよく、あまりにもよく聞く台詞で入ってきたもんだから、とっつあんに見つかったのかと思っちまってよ…。それにしても美奈子ちゃん、よく警察から出てこれたなぁ。これから救出に向かおうかなんて話してたんだぜ。」

「いいのよ、その銭形警部に助けてもらったから」

「とっつあんに?マジで?すまねぇなぁ…」

私の刺々しい言葉にルパンはポリポリと頭を掻きながら、それからこいつは石川五ェ門ってんだ、とお侍さんを紹介した。ペコリと、今時見ない誠実なお辞儀を返した名前まで時代劇な彼に、私はどうしても出身を聞くことができなかった(聞いて「江戸です」と言われても困ってしまう…)。

「んで?何を見つけたんだ?」

リビングに通されてそのまま座ると、向かいで相変わらず煙草を咥えていた次元が、ソファの端にふんぞり返っていた。別に偉そうにしている訳でもないんだろうけれど、その姿はやはりどう見ても堅気の人間ではない。

「何かお金になるようなお話なら、喜んで聞くわよ」

反対側の端で綺麗な足を組み返しながら、相変わらず美しい不二子が身を乗り出してそう言った。その途端に次元が反対側から不二子を睨みつけ、不二子はおどけて首を竦めた。

「嘘よ、嘘。全く、冗談の通じない男なんて大嫌い」

私は、この二人の関係がわかってしまったようでなんだか可笑しくなってしまった。

コーヒーを持ってきてくれたルパンが次元と不二子の間に座り、五ェ門が私の隣に座ると、これでここにいる全員が揃った。

ここから本題が始まるのだ。

「兄が原稿を残した場所は、私の携帯の中だったの」

私はバッグの中から、マイクロSDの中身をコピーしたUSBスティックをルパンの前に差し出した。

「たぶん、私が寝ている間にでも中身を差し替えたんだわ。SDカードなんて普段あんまり使わないからすっかり見落としてた。中身は間違いなく本物よ、ルパン。」

「でかしたなぁ!!美奈子ちゃん!!」

大喜びでどこからかノートパソコンを持って来たルパンは、早速USBスティックを差し込んで中身を確認し始めた。カタカタとキーボードを叩きながらディスプレイを見つめる表情は、一変して真剣そのもので、私はまたルパン三世という人物がわからなくなってしまった。

「…なるほどねぇ…」

時々画面をスクロールさせながらじっくりと中身を読んでいたルパンが、しばらくして、読み終えたのかUSBを抜くとパソコンを閉じた。両脇で盗み読みしていた次元と不二子も、どっさりとソファの背にもたれかかった。

「ねぇ美奈子ちゃん、一つ聞きたいんだけっども」

「何?」

「君は、これをどうしたい?」

「どうしたいって…私が決めていいの?」

「もちろんさ」

パソコンを脇に置き、組んだ両手に顎を乗せたルパンは私を見ている。でも、きっとその頭の中では、このデータに関するシミュレーションを何種類も組み立てているのだろう。私の返事一つで、今後の全てが決まるのだ。でも、でも私はこれをどうしたんだろう?このまま封印してなかったことにするか、警察に大人しく渡していい加減しつこい追跡をやめて貰うか…それとも、世間に公表して真実を暴くか…。どれを選んでも、面倒は免れないような気はする…。

考えあぐねている私に、再びルパンは口を開いた

「君が今一番、死ぬほど後悔してることはなんだい?」

後悔してること?普段から、システマティックな毎日を送っている私に、後悔してることなんてあっただろうか?そりゃ、仕事のミスやプライベートの運の悪さなんて小さいことを考えればきりがないけれど、ここ数年、死ぬほど後悔することなんて…。

一つだけあった。

「…ルパン」

目の前には、世界を股にかける大泥棒とその仲間たち。彼らが味方になってくれるというのなら、きっと怖いものなんてない。私は、決心して思いっきり息を吸った。

「私は、兄の残したことを成し遂げたい。私に協力してくれる?」

もちろんさ!!と、さっきよりも数倍浮かれた声で答えたルパンは、早速頭の中のプランを喜々として説明し始めた。

「ちょうど今日、これから面白いことが起きるんだよね〜」

聞いていたほかの面々も、ルパンと全く変わらず楽しそうな顔をして笑った。

 

「どうして、こんなところで会議があるのですか?」

グランドフォルティッシモの3階にある会議室。その隅で居心地悪そうにちょこんと座った銭形警部が、隣に座る青砥署の署長に小声で聞いていた。

「銭形君。事件はね、会議室で起こっているわけではないんだよ」

それに対して意味不明な返答をした署長は、なぜか得意気になって胸を張った。

「こんなところとは何だね。警察官として、いつも所轄の会議室に閉じ篭っていたらまるで浦島太郎だろう。浦島太郎に事件が解決できるかね?いいやできないね。たまには、こうして世間の空気を吸って庶民の感覚に戻る事が大事なのだよ」

常に世界中を飛び回っている銭形警部を相手によくもまぁそんなわかったようなことが言えるものだ。案の定、はぁ…そうですか、と全く気のない返事をした警部は、改めて周りを見回すことに興味を傾けた。

「ところでこれは何の会議なんですか?」

警部のいる3階の会議室は、16面マルチスクリーンを完備した1000uの大層な部屋で、外に面した巨大ガラスの壁面からは、曇りの日でも滞りなく日の光を中まで届けていた。今日はスクリーンを囲んでコの字型に50席ほど並べられ、中央にはノートパソコンの繋がったプロジェクターが一台設置されていた。席の後ろにはマスコミや招待客の為か椅子がズラリと何列にも渡って並び、まるで裁判の傍聴席のようになっている。警部が座っているのは最前列の一番窓側だから、ルパン関係が今日のメインというわけではなさそうだ。何かの発表会でもやるつもりなのだろうかと思っていると、都合よく署長が警部に向かって説明してくれた。

「今日はな、いわゆる政治家と有識者と警察のシンポジウムだな。警察の日頃の成果を報告し、努力を認めて貰い、足りないところを指摘して頂く、とっても有意義な会議だそうだ。普段なら警視庁の職員と大きな事件を抱えた署がメインで、私など呼ばれないのだが、今日はお前さんにも来て欲しいとの警視庁からの要望でね、こうして聞きに来れたというわけだ」

いやぁ、君がたまたま青砥署に来てくれてよかったよ、と署長は銭形警部の肩をバシバシ叩いた。その上機嫌がいつまで続くだろうと思うと何だか可笑しくなってきて、私は慌てて咳払いをする振りをした。

「あ、ちょっと、君」

署長に叩かれた痛みに咳き込みながら、銭形警部が私に話しかけてきた。全くそんなつもりのなかった私は当然動揺し、第一声が裏返ってしまった。

「ハイッ!!お呼びでしょうか!?

一瞬怪訝そうな顔をした警部は私を怪しんだのかしばらく無言で見つめたけれど、やがて再び咳き込み始めて諦めた。

「み、水を一杯くれないかね」

水?水なんてどこにあるのだ?参加者用の水は50個テーブルの上に置いてあったが、ギャラリー用の水はない。キョロキョロと周りを見回した私は、近くにサービスらしき制服を着た人がいるのを見つけてほっとした。この人に頼めばいい。水を頼むと案の定怪訝な顔をされたけれど、この際しょうがない。新人のサービスだという設定を自分の中に勝手に作って、取ってきて貰うと私は銭形警部にそのまま渡した。

今、私はホテルのサービスに扮して会場に潜入している。ルパンはいつもこんなことをしているのだと思うと何だか変な尊敬の心が沸いてくる。優子に変装した時、盗聴器を見つける仕事がなければ彼は完璧だった。とてもじゃないけれど、私にはあんな風に演じきる度胸はない。こっそりと警部の側を離れると、私はさらに端っこへ寄って目立たないように努めることにした。警部にバレては元も子もない。

○○評論家、コメンテーター、大学教授、有名レポーターから、選挙を騒がした国会議員、普段何をしているのかわからない閣僚、何だかよくわからないけれど偉そうに上等なスーツを着た人、凄いのか凄くないのか、私からしてみれば全くわからない人たちが次々と席に付いて、数分後に会議は始まった。やたらと威勢のいい女性司会者が登場して、さも凄そうに50人全員を紹介し、うち12人の欠席を心から残念そうに悔やんだ。そのままマイクは警視庁長官の挨拶へと使われ、主催者の挨拶に使われ、それからやっと、本題に入るべく巨大スクリーンは人の顔から、グラフやら何やらに切り替わった。これが全て税金で賄われていると思うとうんざりしてしまう。

「では、トップバッターは帝国大学犯罪心理学部教授、進藤靖吾朗様です。進藤教授、よろしくお願い致します」

パチパチとやる気のない拍手と共に、「進藤靖吾朗教授」が壇上に上がる。その姿はあまりにも弱々しくて、一体何の犯罪心理がわかるのだろうと、思わず突っ込みたくなってしまいそうだった。皺くちゃでシミだらけの顔に、瞼が厚すぎてどこを見ているかわからない目。すっかり腰の曲がった姿でフラフラと、杖を突きながらやっと演説台の前に立った彼は、チラリと周りを見渡して、その顔ぶれに満足したのか一つ頷いて、やっと話し始めた。きっと、子守唄のような講義に違いない。

「昨今の犯罪は、非常に複雑かつ巧妙、そして動機のないものが増えてきております。警察や私たちは会社の皮を被った暴力団に悩まされ、優等生の皮を被った不良生徒に頭を掻き毟り、子供という盾を使って核のような理不尽さで攻め立てる親に辟易する。そしてたまにアヒルの道路横断を手伝って、トラックからの逃亡を図る家畜たちの企てを阻止するわけです」

しかし予想に反して、その語り口は意外なほど明朗だった。その上、身振り手振りやアクションをうまく使い分け、聴者の気を引き付けるのがうまい。犯罪だとか心理学だとかそんなことには全く免疫のない私でも思わず、他の参加者と共に夢中になってしまう。ポカンと見つめそうになって慌てて、自分で自分の首を振った。ここは、とにかく注意深くチャンスを待たなくてはいけないのだ。

聞き入らないようにしながら、それでも少しでもサービスらしくと背を伸ばして立っていると、ふと、何かを叩くような音がした。

しかしこっそり周りを見渡しても、誰も何も叩いていない。誰かが暇を持て余してテーブルでも突いているのかとコの字席を見渡しても、誰も彼もが演説に聞き入っていて微動だにしない。

一体何の音だろう?と、なんとなく外を見て、私は思わず目を見開いてしまった。

次元が、宙吊りで誰かと撃ち合いをしていたのだ。

慌てて室内を見渡したけれど、銭形警部始め全員演説に夢中で外になど目もくれない。防音効果の強いコの部屋では滅多な事では外の音は漏れないのだ。そのうちに次元は相手を振り落とすと、呆然とする私に親指を立てて上へ上がっていった。

一体外で何が起きているのだ…。作戦会議では、ルパンは私のするべきことは説明してくれたけれど、他のみんながその間に何をやっているかは説明してくれなかった。きっと、物騒なことをやるのだろうとは思っていたけれど…。気になった私は、こっそり外を窺ってみようと会議室からロビーに通じる扉に手を掛けた。

「今扉を開けたら、全てが台無しよ」

突然後ろから声を掛けられて、私は思わずビクリとして振り向いた。そこには、さっきから無意味な盛り上げをする女性司会者…もとい、司会者に変装した不二子が立っていた。

「不二子…」

「外で何をやってるかは後で説明してあげるわ。だから今は、自分の役目に専念しなさい」

そう言われ、仕方なく元の位置に戻ろうとした瞬間だった。ズドドドドドドッと道路工事をしているかのような爆音が会場に響き渡り、場の静寂が破れたのだ。いけないっ、と叫びながら不二子が私のもとを離れる。

誰かがトイレにでも行こうとしたのか、他のドアを開けたのだった。開けた本人がその場にへたり込んでいるのを、不二子がどこかへ連れて行った。周りに立っていたSPたちは慌てて主人たちのもとへ駆け寄り、床に伏せさせた。怒号と悲鳴がつかの間会場を支配し、誰かがドアを閉めた途端に沈黙へと取って代わった。

「一体どういうことですかな」

壇上で、一人毅然としていた進藤教授がマイク越しに問いかけた。慌てて戻ってきた不二子が、息も切れ切れに司会台へと向かう。

「皆様申し訳ございません。私本日、緊張で大切なことを申し上げることを忘れてしまっておりました。」

そしてそれは明らかにマシンガンの銃声であっただろうにも拘らず、彼女は澄ました顔をして言い切った。

「実は先ほど、この階の水道管が故障してしまったようでして、只今急ピッチで復旧作業をしているところだったのです。皆様には大変ご迷惑をおかけ致しますが、何卒、ご理解とご協力を頂きますよう、宜しくお願い致します」

もちろん、俄かには信じがたい話だ。しかも相手は銃声を聞きなれた警察関係者が多数なのだ。それでも、彼女は最後には持ち前の話術と色気で乗り切って、教授の演説を再開させてしまった。

その後も、窓の外にはバズーカのようなものが振ってきたり、服の切れ端のようなものが振ってきたり、次元だけでなく五ェ門までもが宙吊りで現れたりしたのだけれど、その姿に気づく人は誰一人としていなかった。みんなそれだけ演説に夢中だったってこともあるだろうけれど、どちらかというと、見なかったことにしたかったのかもしれない。ただ一人、銭形警部の目だけが、徐々に光を帯びていっていた。


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