正義の人





6 「七見」

「おいルパン、次元大介を勝手に殺してんじゃねぇよ」
ユキと入れ違いでリビングに入った七見は煙草を咥えながら、半ば呆れ顔で四世の後ろ姿を見遣った。向かいへ回ってテレビを付け、そのまま空いているソファに腰掛ける。一度はアジトを出たものの、暇を潰すのも疲れて帰ってきたら二人して盛大に泣いていたのだ。四世が女相手に本気になっているところなど、七見は見たことがなかったからすぐに演技をしているのだとわかったが、あの空気は勘弁願いたかった。おかげでずっと部屋に入ることができなかったのだ。あんな猿芝居をどんな顔で演じていたのかと顔を覗いてみると、思いのほか四世は真剣に泣いていたようだ。真っ赤な目からはまだ、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっている。
「あれ? この手紙? 違ったっけ?」
「…お前…それ。次元が知ったらぶっ殺されるぞ…」
「あはは。まだ穴だらけにはなりたくないね」
笑った瞬間に両目から涙が落ちた。なんとも奇妙な光景だ。七見はティッシュを放り投げて四世に鼻をかませ、その拍子にローテーブルへ放り投げられた便箋を広げてみた。そこには、確かに手紙が書かれていた。びっしりと、今時珍しい万年筆で書かれてはいたのだが。
「…なんだこれ?」
並んでいたのは日本語でも英語でもなく、ただの数字の羅列だった。規則的についたり離れたりしているせいで、何かの暗号なのかもしれない、ということはかろうじでわかったが、どんな規則性があるのか、どんな計算でどんな解答が導き出されるものなのか、七見には全く判らなかった。
「あ、それね、情報。次の獲物の」
「情報?」
「ずっと探ってた、来日中香港マフィアの金庫本体の在り処」
思いっきり鼻をかんだ四世が、鼻っ柱を赤くさせながら説明を始めた。ずっと眺めていても「情報」の意味が解読できない七見は、大人しく四世に便箋を返した。
マフィアの金が、この間奪ったものだけでないことは知っていた。当初、あの別荘地に持ち込まれる金は10億を下らないと言われていたのだ。ところが、四世の予告状に相手が恐れをなしたのか、それとも別の理由であったのか、実際に入ってみるとそこには3億の現金がアタッシュケース三つ分になって置いてあるだけだった。マスコミに被害総額が6000万と報じられたのも気にかかる。必ずどこかに残りの7億と「6000万」の理由が転がっているはずだった。
「わかったのか」
身を乗り出した七見に四世は深く頷いた。
「ま、何てことない。古典的暗号だよ。最初の二行が鍵になってて、毎回決まった文章を暗号に合わせて描いていく。それを元に、三行目以降の本文を読んでいけばいいんだ」
「デジタルな現代にはもってこいってか」
「人の知能はいまだ機械には追い抜かせない」
四世は皮肉気に笑って立ち上がり、台所へ向かうと冷蔵庫を開けた。
「いやぁ…てっきりユキちゃん帰ったものだとばかり思って、手紙読んでたら後ろから声かけられてさ。焦った焦った…」
「それで、『天才俳優ルパン四世様』のお出ましって訳か。おかげで手紙がぐちゃぐちゃだ」
「ああいう嘘があの場合一番よく効くんだ。動揺も隠せるし。何より訃報の手紙なんて、普通の人間なら覗き見しようと思わない」
なんか飲む? と七見に聞きながら中身を物色し、四世はそのうちにユキの残していった料理に気がついたらしい。そこには、手のかかるものではないが、日数が経っても美味しく食べられるおかずが数種類、ラップに包まって鎮座していた。
「ユキちゃんてば、絶対いいお嫁さんになると思うんだよな」
「俺達に近づいてくるような人間じゃなけりゃな」
水を要求してから、七見は悪態を吐いた。普通の会社員が、四世や七見の「普通じゃない」オーラを気にせず一緒に行動できるわけがないのだ。ましてや、あの女は一度銃撃戦に遭遇している。現代の日本人で、それでも身の危険を顧みないというのはどこかがおかしい証拠だ。
「まぁ、そう嫌ってやるなって」
七見に500mlのペットボトルを放り投げ、四世は自分でもう一本取り出した。プラスチックのキャップを小気味よく開けると一気に喉へと流し込む。泣いた後には大量の水分が必要になるらしい。一口でボトル半分が空になった。
「そんなこと言いながら、お前だってあの女信用してねぇじゃねぇか」
七見は怒り半分にキャップを開けた。てっきり骨抜きにされていると思って、ハラハラしていたこちらがバカみたいだ。
「信用? 信用なら、たぶん海より深く山より高く、誰よりもしてると思うよ」
「は?」
既に四世の手元には二本目のボトルが握られている。薄く結露の乗ったそれを持ってリビングに戻ってくると、再びソファに座ってユキのいた場所をそっと撫でた。
「お前が?」
「うん」
「ユキを?」
「うん」
七見の視線は四世とその隣を交互に見た。意味がわからない。
「お前は信用してる相手にはとことん嘘を突き通すのか? 俺は今までお前に騙されっぱなしだったってのか?」
そう言いながらこれまでのことを思い返してみれば、確かにそうとも言い切れなくはない。七見は、この間の別荘地での仕事をまだ根に持っていた。今後、しばらくあの状況が続くのなら(そして何にも関係ないときに不必要な襲われ方をするのならば)、四世とのコンビ解消だって辞さない。
「…おいおい。お前、何勘違いしてんの」
いつの間にか四世がこっちを向いている。眉間を確認しろと、自分のそこを小突いている。言われたとおりにしてみれば、久しぶりに酷い皺が寄っているのが感じられた。カードの一枚や二枚簡単に挟め込めそうだ。
「七見は短絡的過ぎるんだよ」
「お前が訳わかんないんだろ」
余裕で状況を把握している四世に対して、全く何も掴めない七見はまた眉間の皺を深くした。便箋の乗っているローテーブルを蹴り飛ばしそうになって、ふと一人で加熱している自分に気付いた。これでは、己ばかりが空回ってバカみたいである。一つ大きな溜息を吐くと、気分を落ち着かせるために、手にしていたミネラルウォーターを一気に飲み干した。
「オレはね、別にユキちゃんに背中預けようと思ってるわけじゃないよ」
だから安心して。そう言って四世は女にするようなウインクを一つ七見に寄越した。本気で気持ちが悪い。
「…お前、バカだろ…」
「あれ? だってユキちゃんに相棒の座取られると思ったんだろ?」
「そういう話をしてんじゃねえんだよ!!」
思わず怒鳴ってから七見はまた自己嫌悪に陥ってしまった。また。自分一人で加熱している。
「…もういいや。勝手にボニーとクライドごっこでもやってろ。それより話続けろよ」と四世を促しながらも、当の本人が口を開く直前に釘を刺すのも忘れない。「…仕事の話だぞ」
ちぇ、つまんねぇの、と口を尖らせながらも、四世は便箋に手を伸ばした。それを見てやっと仕事の話に戻る気になったらしいと踏んだ七見は、密かに胸を撫で下ろして空になったペットボトルをゴミ箱に放る。ボトルは綺麗な放物線を描いて吸い込まれていった。
「この手紙にはね、こう書いてあるんだ。『香港食品有限公司東京分社、港区台場に設立予定』日付は三日後。ただし、香港の会社に東京分社設立の予定は今のところ都のデータベースを探っても出てこないから、これは裏取引の日程だろうね」
しわくちゃになっていた手紙の皺を丁寧に延ばしながら、四世は得意げに言った。確か、ここ最近はずっとユキとイチャイチャしてるか寝てるか食ってるか(オンナができた途端、ジョギングは早々に諦めたらしい)だったはずだ。いつの間に調べ物などしていたのだろう。
「香港食品なんて会社、香港にあったか?」
カマをかけて一つ質問をしてみる。あんな中で調べ物を完璧にこなしていたのだとしたら、自分が一人で暢気にボウッとしていたみたいで腹が立つではないか。
「ない。少なくとも表の世界にはね。俺達の狙ってるマフィアが主に取り扱ってるのは麻薬だ。あれを食品に例えてるんだよ」
「で、三日後の取引の日を『おじさんの葬式』にしたわけか。そうすりゃユキを近づけなくても済むもんなぁ」
「ご名答」
完璧だ。そして完敗だ。七見は胸元から再び煙草を取り出した。二本目のボトルを空にしている四世を見ながら火をつける。裏取引の現場でマフィアの金を元本からごっそり頂く。それはとても魅力的な仕事だ。今度こそただの見張り役というわけにはいかなくなるだろう。相手は自分達に対して相当な警戒心を持っているだろうから、きっと警備も厳重だ。それを突破していくのはなんとも胸がすくはずだった。片耳はまだ聞こえないままだったが、何とかなるはずだ。むしろ、それくらいのスパイスがあったほうが楽しめるだろう。
「本当は、連続して同じ相手ってのは好きじゃないんだけどね…」
オンナのような綺麗な顔をして四世が笑った。しかし、その言葉とは裏腹に両の目が爛々と輝いていた。楽しいおもちゃを見つけた子供のような目。そして、物事を壊すことに対して心から楽しむ残酷な目。
「でも、七見こういうの好きだろう? こないだからのお詫びだよ」
きっと、この男のこの目に、七見は惹かれてここにいるのだ。
「いや…別に詫びてもらうほどのもんじゃ…」
実は自分の意見も汲みながら真剣に仕事に取り組んでいたことを知って、七見は何だか急に居心地が悪くなってしまった。ダラダラ文句を言っているだけで一日一日過ぎていっていた自分の毎日が、今更ながら恥ずかしい。
しかし。
「でもルパン、その情報自体は信用できるのか?」
「できるよ。きっちり裏は取ってあるし。何より次元さんからのだからね」
「は!?」
思いもしなかった言葉に驚いた七見は、思わず火のついたままの煙草を落としてしまった。
「まさか、その手紙本当に次元からなのか?」
「そうだよ。なんか、オヤジがまたどっかにフラッと消えてっちまったって暇そうにしてたから、ちょっと手伝ってもらっちゃった」
「お前!!俺には何も仕事振んねぇでなんで親父の相棒捕まえてんだよ!!」
今度こそ、きっと本物の嫉妬だった。これでは、自分が四世の相棒でいる意味が本当に皆無になるではないか。
「ダメだよ!!七見にはマフィアを引き付けといて貰いたかったんだから!!」
「…ってめえ!!端ッからそのつもりだったのか!!先に言えよ!!そういうことならこんなんじゃ侘びが全然足んねぇんだよ!!奪った金の70は貰うからな!!」
「は?さっきと言ってること違うじゃんか!!それに、先に言ったりなんかしたら七見は絶対準備も万端にやり過ぎるだろ!!そしたら計画がパーだ!!これは防衛策だ!!そりゃないよ!!」
「Shut up!!70以外なら俺は金輪際お前との仕事はお断りだ!!俺はニューヨークに帰る!!」
ガツン、と思い切り派手な音を立てた。とうとう、ローテーブルはひっくり返ってその足を無様に天井へ向けることとなってしまったのだ。やり過ぎるってなんなんだ。出くわした相手出くわした相手、全てに銃を向けることか?そんなの、敵しかいない相手のアジトに侵入するんだから当たり前の話ではないか。出くわした相手が銃を構えたらその瞬間に動けなくするのも当たり前だ。撃つ前に撃たれたら、それこそ明日はないのだから。七見は、助かるはずの所で四世と心中するなんて真っ平ごめんだった。
「よく考えておくんだな!!」
「あ!!おい!!ちょっと待てよ!!」
待つもんか。もうこれ以上待って溜まるか。
本日二度目、七見は怒りに任せて思いっきり玄関のドアを叩きつけた。



←BACK TOP NEXT→