独り立ち

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 PM23:30━━。

人々が一日の仕事を終え、それぞれの城へと帰っていき、人口が昼間の十分の一ほどになってしまった東京銀座。寂しがり屋のこの町は、いつもなら朝が来て人間達が自分に会いにやって来てくれるのを、ただじっと闇の恐怖に耐えながら待っていた。どんなにだるそうな顔をしていてもいい。毎日、太陽と一緒にその顔を見せてくれるのなら…。そんなけなげな昭和の妻のような町が、今日は少しだけ、夜にもかかわらず残ってくれている人間と明かりに喜んでいた。

明かりの主、高崎屋総本店。この高級老舗デパートは、いつもならもうとっくに本日の業務を終え眠りについているはずだった。しかし今日に限って地下から最上階の12階まで、煌煌と電気がついているのは、昼間届いた妙な予告状のせいである。電気だけではない。昼間来た大勢の客の代わり…と言っては難だが、それと同じ位の警官がそこいら中に散らばっていた。

彼らの携帯している無線機からは、さっきから神経質な怒鳴り声が響きっぱなしだった。

「いいかお前ら!特に出口を固めている奴らは気を引き締めろ!一旦はヤツ…いや、誰だか知らないがホシにブツを取られてもいい!問題はその後だ!絶っっっっっっっ対に外に逃がすなよ!」

この濁声の主。おそらく日本中で一番よく知られている警察官であっただろう、ルパン三世逮捕を趣味とし生き甲斐としてきた男、銭形幸一その人である。御年70歳。持ち味である執念深さと行動力は、定年という国家の暴力(だと彼は思っている)を越えてまで今だ健在であるようだ。さっきから無線機を持ってうろうろしている姿が、周りにいるどの警官よりも若々しい。

彼のいる場所は十階催事場。他のフロアに比べるとしきりのほとんどないこの場所は、その名の通りデパート主催の催し物を行う会場になっている。件の首飾りが眠る場所はそのちょうど中央に位置していて、周りには十人の警官がスクラムを組むようにして立っていた。

「…銭形さん…。」

彼の傍らにずっと佇んでいた男が口を開いた。長身の銭形よりもさらに背が高い。大体185pくらいだろうか。体力よりも頭脳で勝負といったようなインテリ系の面長の顔立ちには、これまたインテリ系の縁無し眼鏡をかけている。年の頃は30代中頃というところか、中年独特の風情はまだ背負っていない。周りから見れば、さしずめ銭形の秘書のように見える。

「何だ、大岡。」

忙しいのに呼び止めるなとでも言いたげな顔に、大岡と呼ばれたその男は、ほとほと困りきったという顔を通り越して、迷惑そうな表情を露にした。

「…そんなに怒鳴りっぱなしじゃあ、血圧が上がりますよ…。それに、一応ここの指揮官は私なんですが…?」

どうやら銭形は、指揮官の座を奪ってまで持ち前の情熱を発揮してしまったらしい。もともとコトの相談を持ちかけたのは大岡だったが、彼は「ちょっとしたアドバイス」を銭形に求めたのであって、指揮官になってくれとは一言も言っていないのだ。

「なぁにを言っておる!!天下のルパン一族の名を語った男だぞ!!お前みたいな若造にその指揮が出来ると思っているのか!?三世だろうが四世だろうが、このわしが絶対に逃しはせん!!

と、この通りである。普段の銭形は今とは比べようもないほど温和な人物なのだ。やはり「ルパン」の三文字を出すのではなかったと、大岡は今更ながら後悔した。

だが。

曲がりなりにもこの若さで警部の肩書きを持つ大岡は、果敢にも傍若無人な銭形老人に反論して見せたのだ。

「若造だろうが何だろうが、近頃は実力主義の世の中です。銭形さんのいらっしゃった頃の様な年功序列なんて流行りませんよ。私は確かにあなたに比べれば若輩者ですが、これでも一応留学してまで犯罪心理学を勉強しているんです。日本に帰って解決した事件も少なくありません。見くびってもらっては困ります。」

「フンッ。」

銭形は鼻で笑うと大岡をチラリと見遣った。

「なぁにが犯罪心理学だ。奴らの犯罪に心理とやらがあるんだったら拝ませてもらいたいもんだな。そんな型通りの教科書が通用するくらいの小童なら、このわしがとっくに十年前に逮捕しておるわい。」

「…十年前?」

きちんと整えられた大岡の眉がピクリと動く。人を射抜くために作られたのではないかというほどの切れ長の目は、ピタリと銭形を捉えていた。

不意を衝かれた老人は明らかに動揺して、しまったとばかりに顔を背ける。

「銭形さん…何を知っているんですか…。」

「ル…ルパンのことなら何でも知っておる―。」

「四世という人物も知っているんですね?」

「……。」

畳み掛けるように発せられた質問に、銭形は沈黙してしまった。まるで落とされる直前の容疑者のような心境だった。冷静に、冷徹な目を、大岡は協力者であるはずの大先輩に向けている。これに怯むのは、疾しいことのある人間だけだ。

「さっきから気になっていたのですが、その「ルパン四世」をあたかも知っているかのような口ぶりは何です?私も最初は、あなたが長年追い続けていたルパン三世と混同しているのかと思っていました。予告状だけではわかりもしない性別を、あなたはさらりと「男」と言ってみたりしてね。
ところがどうもおかしい。十年前とは何ですか?三世と混同しているなら、彼をとっくに逮捕しているのは十年前に限定されたことじゃないでしょう。それより前を加えてもいいはずだ。何せあなたはそれこそ血眼になってルパン三世を追いかけ続けたのだから。つまり、あなたは混同などしていない。「ルパン四世」という人物を知っているのではありませんか?しかも、それがルパン三世の実の子供であるということも。」

沈黙。

銭形は何とか逃げ道を探そうと考えを巡らせ、大岡はそんな彼の答えをじっと待っている。フロアにいる他の警官は、そんな二人のやり取りを固唾を飲んで見守っていた。

と、次の瞬間。

 

ドカンッ!!

 

いきなりどこかで何かが大爆発を起こした。建物全体が大揺れし、多くの警官がよろめき倒れる。

そして次の瞬間、デパートは真夜中の闇に包まれてしまった。

「来やがったな。」

それまでの態度から一変、銭形は文字通り目の色を変えてそう呟くと、傍にあった無線機を掴み取り大声で各階の警官に指示を出した。きっともうすでに、大岡に詰問されたことは忘れているに違いない。

「各人、今の爆発で取り乱すなっ!!恐らく奴はブレーカーの近くに我々が張り込んでいることを知って送電線を爆破させただけだ!ビルが崩れることはないから、落ち着いて持ち場を離れぬように!それから爆発地点の側にいる者は、即刻状態を報告しろ!

すぐに別電源で取っていたサーチライトが点灯し、首飾りの無事が確認される。間を置かずに、爆発地点の状況も報告された。銭形の言った通り、揺れの割には大した爆発ではなかったようだ。

そのいざという時の判断力に、大岡は身震いした。引退して10年もたっているのに、彼の頭は素早く動き部下に的確な指示を与える。現役の頃はさぞかし敏腕だったのだろう。たぶん、今の自分など比ではない。この人物にすら捕まらなかった「ルパン三世」というもう既に過去の伝説となった男に、恐怖を覚えてしまったほどである。大岡は素直に、さっき銭形へ向けた視線を後悔した。

だが、ホシがこう手荒に出てきては、どんなに素晴らしい人物でも老人であることに変わりない銭形の身が危ないことは確かだった。

首飾りの見張りを部下に任せると、大岡は意を決して無線機に向かって怒鳴り続けている銭形に言った。

銭形さん、後は私が引き継ぎますので、あなたは部下と一緒に外の車の中で待機していて下さい。」

「何だと!?

案の定、すごい剣幕で銭形は食ってかかってきた。

「この件を持ってきたのはお前だぞ!ここまで来てこのわしにこのわしに!帰れと言うのか!?

一瞬だけ怯んだものの大岡も負けじと怒鳴り返す。

「それについては謝ります!正直私は、首飾り一つ盗むのにホシが爆発物まで持ち出してくるとは思わなかった!しかも、あなたはもう70歳なんですよ!?こんな手荒な現場にいるのは危険すぎる!銭形さんにもしものことがあれば、我々は一生かけてもルパン一族を逮捕できません!!行って下さい!!

そう言って、渋る銭形を無理矢理に非常階段の方へ連れて行かせようとした時だった。突然、館内に場違いな時報がこだました。

「只今ヨリ、午前零時チョウドヲオ知ラセシマス。」

ポッポッポッポー…ン。

再び沈黙。時報の響かせる最後の一音まで、全員その耳でしっかりと聞いてしまった。

誰もに緊張が走り、誰もが条件反射的に首飾りに目をやる。

この重苦しい空気を破ったのは、銭形でも大岡でもない。どこからかクスクスと響いてきた場違いな笑い声だった。

「誰だ!!

大岡が叫ぶと、首飾りに当てられたライトの中に人の姿が浮かび上がる。

警官…?

その人物は、他に違わず警官の制服を着ていた。だが、ライトを浴びて暗い中に立っている姿は、まるで劇の中の主人公のようだ。

お前何をしている…?

大岡がそう言ったのと、銭形が「四世か。」と呟いたのは、ほぼ同時だった。

「四世…?

大岡はチラリと闇の中に朧気に浮かぶ銭形を見て、再び警官姿の人物に目を戻す。

「ハァイ銭形のじいちゃん。お久しぶり

フロアにいる全員の注目を浴びていたその警官は、楽しそうにそう言うと、帽子を取りくるりと回してお辞儀をした。

「そしてみなさん、お初にお目にかかります。僕がルパン四世です。」

頭を上げたその顔に、一同はハッと息を呑む。

美少年

その言葉はきっと彼のためにあるのだろう。「整った顔立ち」という台詞すら、彼を前にした途端に陳腐な戯言と化してしまう。左右寸分違わず対称なのではないかと思わせる少々あどけなさの残る輪郭。薄く茶色がかった日本人にしては色素の薄い髪と瞳。その瞳は大きくキラキラと輝き、これから犯罪を犯そうとしている者のそれとは到底思えない。すっと通った鼻に薄くて形のよい唇。そして一見性別不詳の中性的な雰囲気。

おまけに、180pあるかないかの長身に、スリムだが適度に筋肉のついたその体型は、日本中の女の子が一目惚れしそうである。

「大きくなったもんだな。」

言葉とは裏腹に、銭形はさして感慨に耽る風でもなくジリジリと四世の方へと近づいていった。

10年前は子供だと思って甘く見ていたが、今度はそうも行かんぞ。」

アラッ、と四世がおどけてみせる。

「覚えててくれたの?天下の銭形警部に覚えられてたなんて、オレ照れちゃうなぁ。」

十年前、定年のその日に「祝いだ」と言いながら現れたルパン一味の中に、まだ修行を始めて間もない四世がいたのを銭形は覚えていたのだ。

「でも。」

四世はフフンッと笑った。

「じいちゃんは年取ったよねん。オレを捕まえるだなんて、無理しない方がいいよぉ?

「どうだろうな。」

答えながら銭形は懐に手を伸ばす。

「あの時はルパンへの借りと…お前さんへの償いが半分ずつ…あったからな。」

「あんなの気にしなくていいのに。だってオレの自業自得だろ?」

四世のあまりにもあっけらかんとした口調に、思わず銭形の口唇が緩んだ。

「フンッ。そこがお前とルパンの違うところだ。」

「……?」

何のことだと、四世が聞こうとした時。

「お話中申し訳ないが。こっちにいるのは老人だけじゃない。」

銭形と四世との間に割って入ったのは、二人が会話している間どこかへ消えていた大岡だった。

「私達がいるのを忘れてもらっては困るね。君がそのケースを開けるなり壊すなりして首飾りを手に取った時点で、そこを360度ぐるりと囲んでいる警官が殺到するぞ。どうやって逃げ出すというのかい?

「お、大岡。もしかしてキサマ全員このフロアに集めたのではあるまいな…?

口を開いたのは、目を剥いて振り向いた銭形だった。

そうですが…?

どうやら大岡は、銭形と四世が感動の再会(!!)を果たしている間に、闇に紛れて各配置についていた部下を首飾りの周りに集めたらしい。

「バカかお前はっ!!

銭形は血管が切れんばかりに怒鳴り散らす。

「俺は、何よりも出口を固めろと言ったはずだぞ!何でここに集めやがった!?

「何でって。今ここにホシはいるんですよ!?出口まで逃がすより、ここで捕まえた方が効率も逮捕率も上がるじゃないですか?

大岡は訳が分からないといったふうに反論する。それを聞いた銭形は、一つ大きくため息をついた。

「今回はお前の負けだな、大岡。」

ぽつりと呟いて懐から手を抜いた銭形に加え、それまでニコニコと二人のやりとりを見ていた四世は大岡に追い打ちをかけるように言った。

「大岡さん。わざわざどうもありがとう。長居もなんだから、オレそろそろおいとまするわ。」

彼はおもむろに懐の中からガスマスクと丸い玉のような物を取り出すと、ニヤリと笑う。

「ガ、ガスだっ!

誰かが叫んだときにはもう遅い。ガスマスクをはめた彼が玉を床に叩きつけると、それはボンと音を立てて破裂した。瞬間、窓のないフロアに煙が充満する。

「ッゴホッ!な、何だっ!?

ッ催涙弾だ!!

「ル、ルパンは!?ルパン四世はどこだ!?

現場は一気にパニックに陥ってしまった。こうなるともう手が着けられない。闇、煙、涙、人混み、この四つがそろって平常心でいられる人間も、あまりいないだろう。全員が四世を捕まえようとして、お互いの足を引っ張り合う。

当の本人は他人事のようにその様子を楽しむと、再びクスクス笑って悠々と女王の首飾りを手に取った。

「せっかく銭形のじいちゃんが忠告してくれたのにね。ま、ご苦労様でしたということで

じいちゃん、昔話はまた今度だ!!

それだけ言うと、彼はとても信じられないスピードでその場を去っていった。

 

ところが。

 

彼女は時を待っていたのだ。この時を。


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