り立ち

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$予告状$

 

今晩24時ちょうど

「女王の首飾り」

をいただきに参ります。

 

$怪盗ルパン四世$


 

ルパン四世…?」

 

 東京銀座は高崎屋総本店━━。高度経済成長の形ある証拠であり、バブルの最後の一かけらでもある。ブランド好きな日本人が好みそうな老舗高級店舗が軒並み揃っていて、最盛期にはありえないほどの来客数を誇っていたのだが、日本経済の急降下にきれいに正比例してその売上も落ちていった。それでも一度頂点を極めた者の意地とプライドで、最高級デパートのメンツは今でもけなげに上品に保たれている。

 そんなデパートに、こんなへんてこな、いたずらとしか思えないような手紙が舞い込んだのは今日の昼のことだった。

 

「ルパンって、あのルパンか?」

 本店とはそう離れていないほどの距離にある高崎屋本社。その最上階にある社長室では、2時間ドラマに出てきそうな若社長と美人秘書が、2時間ドラマのワンシーンのような雰囲気の中でこの突然の恋文について会話をしていた。

「義賊義賊とマスコミに騒がれていた彼らが、若い頃私は大好きだったのだよ。」

 社長の多嶋は、さも楽しそうに言った。まだ四十そこそこしかいっていないのに全国展開の老舗デパート代表になったという超エリートである彼は、その肩書きに相応しくうまく高級スーツを着こなした上品な出で立ちである。セールスポイントでもある甘いマスクと少年のような瞳は、今まで多くの女性社員のハートをくすぐってきた。どうやらある種の母性本能を刺激させるらしいのだが、それは、正直仕事以外の事では頭がうまく回らないせいでもあるようだ。

「楽しまないで下さい、社長。この手紙の主は四世と名乗っています。それは三世ではないですか。」

 そう冷静に言ったのは多嶋の秘書である森下尚子だった。東大を主席で卒業した彼女は、仕事場では今や彼の片腕どこらか両腕になろうとしていた。その上美人である。社内では毎年、今年こそ尚子が社長の公私共にパートナーになるだろうという噂が出回るほどだ。それでも彼女が多嶋に靡かないのは、単に彼がおぼっちゃま育ちのボンボンだからである。女は、片方では母性本能をくすぐる永遠の少年タイプ、もう片方では大きな心で自分のすべてを包み込んでくれるような父親タイプのどちらかに惹かれやすい。尚子は明らかに後者である。親の力でエリート街道まっしぐらで、何も人生というものを知らない多嶋を軽蔑すらしていた。実は仕事だからこうして多嶋と向き合っているが本当は嫌で嫌でしょうがないのだ。あくまで誰にも言わないが…。

「女王の首飾りは、明日から本店の十階催事場で一般公開される「世界の宝石展」のメイン宝石なんです。お忘れではないと思いますけど、これを十日間お借りするのに我々は持ち主であるフランスの実業家に莫大なお金を払っているんですよ。「あはは。盗まれちゃった☆」じゃ済みませんからね。」

 「世界の宝石展」━━。古今東西津々浦々から集められたいろいろな宝石が展示される、デパートで行われるにしてはいささか豪華過ぎるかとも思えるイベントだ。この不景気に少しでも主婦層を中心とした女性の需要を伸ばそうと、宝石業界とこの高崎屋が共同で企画したものだ。主婦層をターゲットにしているにしては結構豪勢で、展示物の中には古いものでマリーアントワネットが所持していた宝石、新しいものでは新進気鋭の人気ジュエリーデザイナーのデザインした最新作まで、高級宝石店にも置いていないような代物が大盤振る舞いであった。

 中でも先ほどから話題に上っている「女王の首飾り」という作品タイトルの首飾りは、土台がすべて純金でできている肩のこりそうなもので、中央に組み込まれた200カラットのダイヤの粒を中心に色々な宝石が上品に散りばめられている。第一次世界大戦前に作られたのだが、二度に渡る世界大戦に翻弄され行方が分からなくなっていたのを、最近主催者一人と知り合いであるフランスの大実業家が「あるルート」で手に入れたらしい。見せびらかしたくてたまらなかった彼はこのような展示会があることを主催者から聞き、「格安で」この女王の首飾りを貸し出したのである。

 ともかく、そのおかげもあって、客寄せのためにマスコミやセレブと呼ばれる奥様方を招いて今日の午前中に行われた事前パーティーは大成功を収めていた。明日からは、一般来場客に販売するために手頃な値段で質の良い宝石も、多数入る予定だ。

「しかし尚子、かの有名な大泥棒ルパン三世は残念なことに引退したと聞いたぞ。しかも彼に子供がいるということは聞いたことがない。やはり何かのいたずらではないか?なんせ世界的に有名な名前だからな、誰かが面白がって使ってみてもおかしくはあるまい。」

 ルパンに陶酔している彼の表情は、もはや楽しそうを通り越して恍惚とすらしていた。…このルパンオタクめ…と尚子は心の中で多嶋を思いきり罵ってみる。考えてみれば、彼が今回この首飾りをメインにしようと言い出したのも、実は名前が初代アルセーヌ・ルパンの盗み出した首飾りと一緒であるからというだけかもしれない。

「…社長…。残念なことにとは何ですか。彼は英雄ではなく犯罪者ですよ?」

 尚子は懸命に冷静さを保ちながらこの見掛け倒しの間抜けな(と尚子は思っている)男に言う。いつもはポーカーフェイスを崩さない彼女の顔が今にも鬼の顔に変わりそうだったが、ここで怒りを剥き出しにしては高崎屋グループ一の美人有能秘書の名が廃るというものだ。

「それに、もしものことはお考えにならないのですか?人を騙すのが仕事のようなルパン一味です。隠し子なんていくらいても不思議ではありませんでしょう?しかも、誰かが面白がってその名を語るのは一向に構いませんが、それが泥棒の仕業だったらルパンでなくとも本当に盗みに来ると思いますが!?

 言いながらどうにも怒りを隠しきれなくなってしまった彼女は、最後のほうは半ば怒鳴る様だった。その怒りようは、いくらぼんくら社長に対してと言えど不自然過ぎるくらいだ。

「…そうかい…?」

多嶋は、怒られた子供のような顔をして残念そうに呟いた。彼には、大失敗した時の事態を把握できていなかった。失敗してもいつも誰かが尻拭いしてくれる…。誰もそういう人物がいなくなってしまった今でも、どこかでそう甘えている節があった。だからこそ無謀な社内改革を躊躇なくやってのけ、たまたまそれが成功した結果現在の地位に収まっているのだ。

「とにかく」

淋しそうな多嶋にはお構いなしで尚子は言った。

「体裁やら予算やら気にしている余裕はありませんよ!盗まれたらそれこそ厄介なことになるんです。警察に届けさせていただきますからね!」

くるりときびすを返して部屋を出て行こうとした尚子を、多嶋は慌てて呼び止めた。

「な、尚子君。ちょっと待て。」

「なんです?もうこれ以上ルパン賛辞はお聞きできませんよ。」

「いやいやそうじゃない。君のことだよ。」

「私?私がなにか?」

目を吊り上げて食って掛かる尚子に、多嶋は少し躊躇しながらも続けた。

「…いや…その…君はルパンが活躍していた時代に生きていたにしては少し、いやだいぶ若いが…その…ルパン三世について妙に詳しいと思ってね…。彼らが一流の泥棒であると同時に一流の詐欺師であるなんて、その年じゃあマニアでもない限り知らない事実だよ。」

「……。」

尚子は、しまったとばかりに口に手を当てた。このお坊ちゃま社長は妙な所で鼻が利く。

やけになった彼女は、さも悔しそうに一言一言強調しながら言った。

「私が!小さい頃!家が!やられたんです!ルパン三世の一味に!大切な家宝を!」

そして今度こそくるりと背を向けて、「失礼します。」と言うと、その怒りはルパンに向けられているのか多嶋に向けられているのか、私情たっぷりに荒荒しくドアを閉めた。

「…それはむしろ光栄なことじゃないか…。」

多嶋はもういない美人秘書に向かって、本気でそう呟いていた。もしも尚子が運悪くこの言葉を聞いていたら、彼は間違いなく天に召されていたに違いない。




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