幸せな話

.暗闘反目

「大岡忠之、警察官をやっている者です」

午後の日の差す応接室。片隅には熱帯魚のいる解放的な空間。秘書が丁寧にコーヒーを並べ終え、丁寧にお辞儀をして部屋を出て行ったのを見届けると、目の前の黒革ソファに座った人間は身分証明証を見せながら、そう言って話を切り出した。昨日の今日で話すことは何もないというのを、警備員を押し退けて入ってきたのだと言う。入ってしまったものは仕方がない。男は寝不足を抑えて大岡を迎えるしかなかった。適当にあしらってお帰り頂こう。

昨日の一件は、売り上げの一部と一人の女を損害に出して一応の終着を迎えていた。ルパンにやられた部下達は全員「ケジメ」をつけさせていたし、ルパンと競って負けたSEは今頃地下で血に飢えた獣達に遊ばれているだろう。貧弱な体をしていたから、とっくに脳味噌は電脳世界にぶっ飛んでいるかもしれないが。まぁ、ぶっ飛んだ所で家に連れて帰り、自殺に見せかけるだけだ。他人に執着しない昨今の世の中、証拠隠滅は一昔前の十倍容易い。

そういうわけで、午後には後始末はほぼ終了していた。男はすでに昼の顔としてアミューズメント企業の社長に戻っている。そこへ警察が、例え軍を成して家宅捜査に当たったとしても、見つかるのは昨日のカジノの客が残した吸殻くらいだ。

「ほう、警察が私に…。所得税の申告漏れでもありましたか?」

敢えて大岡の目の前で足を組み手を組み、挑戦的な目を向ける。公的機関で探偵ごっことは微笑ましい。

「それを勧告するのは生憎国税局でして。私たちの仕事ではありません」

他の多くの堅物警察官がそうであるように、大岡も男のジョークにピクリとも動じなかった。それどころか、眼鏡の奥の細い目をますます細くして男を見据える。何かを見つけたのか。これは、案外肝の据わった男かもしれない。男の口からは自然に笑みが漏れた。昨日といい今日といい、連日こんなにいいカモが釣れるのも珍しい。

「ククク。失礼。こう会社が大きくなってしまうと、関係機関を整理するのも一苦労でしてね。気を悪くしないでいただきたい」

「いえ、慣れておりますから。組織というのはわかりにくいのが美点です。」

それより本題に入らせていただいてもよろしいでしょうか、そう言って大岡は懐から写真を何枚か取り出した。

「…これは」

目の前のテーブルに綺麗に並べられた写真を何とはなしに眺めたものの、腹の前で組んだ両手には力が篭ってしまった。暗がりで撮られているので輪郭ははっきりしないがこれは、明らかに逃走中と見られるルパン四世と七見哲也、それから、牢獄から消えた女だった。

何か証拠を出してくるとは思ったが、まさかいきなり決定的瞬間とは思わなかった。あの大岡の様子からして、こちらの目を伺いながら鎌をかけて来ることしかしないと思ったのだ。思わず手を伸ばし、傍らに置いてあったゴロワ−ズを掴み取ると、男は乱暴に火をつけ忙しなく何度か煙を吸い込んだ。

「今朝方、匿名で送られてきた写真です。この三人が誰だかご存知で?」

急に目の色を変えた男の様子に気付かないほど目の前の男は間抜けではなかった。大岡は手応えありといった表情で写真を指差す。ここで白を切っては黒を肯定しているようなものだということは経験上嫌というほど知っていた。不覚だが、知らぬ存ぜぬは通せなくなってしまった。しかし、だからといってカジノの存在を肯定しても負けだ。あれは、この国の暗黙の了解の下に成り立っているだけで、決して合法施設ではない。一瞬のうちに計算し、男は譲歩案をとることにした。

「…お恥ずかしいので出来ればお話したくなかったが…。こうなってしまえば仕方がない。あなたにだけは、お話しよう」

「よろしくお願いします」

淡々と歩を進めてくる大岡に男は内心舌を打った。なぜ、やり手と認めたとはいえ警察官一人に動揺しているのだ。完全にペースを呑まれている。どうにか取り戻さねばならない。もう一度深く煙を吸い込む。大丈夫だ。

「ここに写っている女ですが…実は私の養女でしてね。10年ほど前に内戦地域から引き取ってきた者なんです」

「アンジェラ・ルイス。1998年より当国に移住。それは存じております」

「そう。アンジェラなんて可愛い名前をつけたもんだ。一目で気に入ってしまいまして。…まぁ、俗に言う『惚れた』って奴です。形としては養女になっておりますが、私は誰よりも彼女を愛していた」

「監禁するほどに、か?」

急に口調の変わった大岡の声に、今度こそ男は動揺しなかった。この手の質問は、聞き古されている。まだまだこの男は青い。男の表情に余裕が戻った。

「監禁…とは。人聞きが悪いですな。数年前から彼女は外に出られない体になってしまいまして。私の自宅で療養していただけのことです。彼女は近所でも評判の美人だ。噂に尾ひれが付いただけですよ」

煙草が短くなってきた。男は惜しむように最後の一服を堪能すると、目の前にあった大きな灰皿で吸殻を潰した。

「刑事さんとも在ろうお方がそんな噂を真に受けますか?」

目を上げると、ちょうど大岡と視線がぶつかった。眼鏡の奥の細い目が男を捕らえていたが、そのさらに奥で何を考えているのかはなかなか掴めなかった。狸のように惚けた人間も厄介だが、こうして狐のようにジッと隙を伺う人間も相当厄介だ。

しばらく見つめ合い、その先で折れたのは大岡だった。
「失礼しました。あまりにもご近所での噂が絶えなかったので一応確認を。質問を変えます。彼女は昨夜もご自宅にいらっしゃったのですか?」

「えぇ、そこをこの二人組に連れ去られたのでしょう。私が彼女の部屋に着いた時には、部屋はもぬけの殻でした」

これは嘘ではない。あの場所を彼女の「部屋」と呼ぶのなら。

「警察に連絡することも考えたのですが、うちには優秀なSPがたくさんいますからね。まずは自力で探してみようと」

「そうですか。ではあなたは、この男達は彼女を連れ去るためだけに昨夜あなたの屋敷に潜入したと?」

「他に何か理由がありますか?」

間髪入れずに切り返すと、初めて大岡が溜息を吐いた。視線をテーブルに置かれたコーヒーカップに落とし、何事か考えた末にもう一枚、今度はA4サイズの紙切れを懐から取り出した。

「これは、昨日警察宛に届いた犯行予告です」

「犯行予告?」

「本当は門外不出の代物ですが、あなたにだけはお見せします」

Eメールの受信フォルダをそのまま印刷したらしいその紙には、腹立たしいほどのデコレーションを施された文字が内容とは裏腹の軽薄さで、画面いっぱいに踊っていた。

 

『ヨコクジョウ

 

こんや、国内屈指のうらカジノのマネーをゴッソリいただきに参上!!

ヌシラならわかってくれると思うのでぇ、あえて場所は教えヌ!!

頑張って探してちょ☆

 

LOVE YOU ルパン四世』

 

「…なんですか…これは」

貰った本人でないにも拘らず、男は思わず紙を破りそうになってしまった。破壊的に、このメールは人をおちょくっている。

「怒らせてこちらを撹乱させるのが奴の作戦でしょう。」

察した大岡から紙を取り上げられ、男が手に込めた怒りは行き場をなくした。あんな下らない予告状で警察にはカジノに踏み入れられそうになり、挙句、あんな下らない予告状を送りつけるような男にアンジェラが連れて行かれたと思うとさらに怒りは高ぶっていく。どうやら、自分はルパン四世という男を買いかぶりすぎていたようだ。「ルパン三世の息子」と言えど、イカレた現代人の一人に過ぎない。

「もう一度お聞きします」

その声で、怒りに震えている場合ではないことを思い出した。今は大岡を何とかするのが先決だ。せめて気持ちを落ち着かせようと手元のコーヒーに口をつける。しかし、中途半端に冷めて温くなったコーヒーは、中途半端な抑制効果しか上げてくれなかった。

「ルパン四世は、アンジェラ・ルイスを連れ去るためだけに屋敷に潜入したとお考えですか?」

男がコーヒーを置くのを待って、大岡がもう一度同じ質問をした。男は、ここが切り上げ時だとばかりに、もう一度足を組み直す。

「他に理由はない」

はっきりと、ゆっくりと、しかし何事もないように言葉を発した。最大にして根本からの拒否。頭の回転の速い奴ならわかるはずだ。これ以上は、何も引き出せないと。

「そうですか。わかりました」

思ったとおり、今度こそ大岡は無駄に狐目を寄越してくることはしなかった。あっさりと引き下がると写真を懐にしまい立ち上がる。

「お忙しい中、どうもお手間をお掛けしました。また捜査にご協力頂く事があるかもしれませんが、その時はよろしくお願い致します」

「いつでもいらしてください」

一緒に立ち上がりながら心にも思っていないことを言い、ふとテーブルに目をやる。男は大岡が一口もコーヒーに口をつけていないことに気がついた。

「せっかくですので、コーヒーを召し上がってから行かれてはいかがです?」

「いや、他にも回るところがありますので。今日はこれで失礼します。」

用が終わると今度はチラリとも目をくれず、大岡は扉の向こうへと消えていった。

「食えない奴め…」

乱暴に大岡の前に置いてあったコーヒーカップを掴み取ると、中のコーヒーを熱帯魚のいる水槽の中にぶちまける。色水のようにゆらゆらと透明の水を侵食していった茶色の液体は、やがて魚たちと代わって水中に鎮座し、居場所を奪われた色とりどりの熱帯魚達は、すでに天国を求めて水面に浮かんでいた。


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