幸せな話


.開巻劈頭

柱の影に身を隠した途端に耳元で「チッ」と小さな音がして、また一つ四世は命拾いをした。瞬時に距離を測って何発か撃ち返すと、隙を見て走り出す。次の柱まで全力疾走。すぐに身を隠し、今度は空になったマガジンを入れ替える。そしてまた撃ち返して全力疾走。もう何分もそれを繰り返していた。銃撃が止んだ瞬間が勝負。次の瞬間に走り出すか撃ち返すか。迷っている暇はない。一瞬でも早ければ無暗に柱へ向かって撃ってくる相手の餌食になることは間違いないし、一瞬でも遅ければ下手な射撃手の格好の的になる。そんなのは四世にとっては屈辱以外の何物でもない。どっちもごめんだった。周りは各柱に取り付けられた必要最低限の明かりしかなく、弾など着弾後も見えたものではなかったが、絶対に弾に当たらないように神経をすり減らすしかない。

向かいでは相棒が全く同じ作業をしていた。最近は二丁拳銃で仕事をするのがお気に入りらしく、今日も七見は右手にS&W M19、左手にM586を装備している。とは言ってもどちらも一丁に装填できる弾数が6発しかないので、総装填弾数では17発の四世には勝てない。無駄に弾を食うよりよっぽどいいとは七見の言い分だ。弾数が少ないと、集中力が増すので効率がいいらしい。四世からしてみれば身を守る道具は多いに越したことはないのだが。

二人は、とある裏カジノの金を奪いに潜入していた。あと少しでお宝と共におさらばだと思ったその時、気が緩んだのか警報装置を作動させてしまったのだ。この世界では簡単なミスが命取りになるという例の、模範例のような失敗だった。

もうすぐ道は突き当たりに差しかかる。近づくにつれ左右に道が分かれているのが見えたが、どっちに進むにしろ、どちらかが命をかけるしかなかった。右に進むなら七見が、左に進むなら四世が、鉛の嵐を横切らなくては二人同じ逃走ルートは確保できない。敵は牽制して反対側の曲がり角から顔を出したり入れたりしている。そこそこ距離はあるが当たったら冗談は通じそうにない。

「どっちだ!!

最後の柱に到着した七見が叫んだ、と思う。四世には周りが煩過ぎて声がうまく伝わってこない。七見がイライラと投げ捨てたスピードローダーが床に転がり、次の瞬間にはマシンガンの餌食になった。

「じゃんけん!!

どうにか声を拾って反対側で叫び返す。こんな時こそじゃんけんで決めれば面白いではないか。その顔は全体で笑っていた。計画は、狂えば狂うほど先の予測が不能になって楽しい。

「アホか!!

思わず、柱から顔を出して怒鳴った七見の頬に銃弾が掠った。慌てて首を引っ込めるとこっちに向かってファックサインを出してくる。四世は心外だとばかりにふくれっ面を返してやった。

「じゃあ…左!!

言うなり七見へ向かって飛び込んだ。その突然の行動にも七見は差して驚きもせず、間髪要れず敵に向かって威嚇をする。向こうの何発かは足下の床を擦ったものの、残りは四世に当たることなく壁にめり込んだ。かすかに向こうで三人倒れる音がした。こっちは大漁だったらしい。

しかし三人で満足しているわけにはいかなかった。敵はまだ大量にいる。いくら二人でも殲滅はまず無理だろう。ということは、一刻も早く自分たちが逃げる外への道を探さなくてはならない。

転がり込んで受身を取り、その勢いで四世は走り出した。前方にも今までと同じような道が続いている。出口どころか扉らしきものがさっきから一枚も見あたらない。四世には、この道は人を迷わせる為の迷路としか思えなかった。

後ろを振り向くとちょうど、もう一度威嚇射撃をしようとしていた七見が一瞬思い止まったのが見えた。敵もこういうチャンスを見誤るほど馬鹿じゃない。当たり前だが銃撃が再開されてしまった。仕方なさそうに何とか威嚇し直した彼は、小さく首を振りながら追いついてきた。

「おまえあと何発残ってる?」

七見に向かって、四世が聞いた。こういう場面で七見が躊躇することなど、普段なら有り得ない。
「…二発。」

なるほど。弾を出し渋ったのか。四世が思っていたよりも弾数は大分少なかった。装填数が少ないこともあるが、七見が援護役に回る数の方が多いからだろう。

「お前は?」

希望を込めて七見が聞いてきた。七見の援護役が多いのなら、対する四世はきっと弾の残数も多いはずだと踏んだのだろう。

「さっき予備のマガジン使っちゃったから9

9?マジかよ!?

なるべくなんでもないように言ったつもりだったが、聞いた瞬間に七見が小さく舌打ちをした。すぐに眉間のしわが深くなる。出口の見えない地下道を抜けるには、二人合わせても明らかに弾数が心許無さ過ぎた。

「万事休すだな」

「ったく、だから逃走経路を確認しとけってあれほど言ったんだ」

イライラと七見が愚痴り始めている。後ろについている団体さんがいつこの曲がり角を曲がってくるかもわからず、前からの新たな敵がいつやってくるかもわからず、弾も残りがない。どう考えても最悪な状況だ。60分後には蜂の巣になっているかもしれないことなど、四世にだってわかっていた。

「だってあそこの道路が陥没事故で本物の閉鎖だなんて、誰に予測できるんだよ?」

それでも彼は駄々っ子のように口を尖らして答える。逃走経路になるはずだった道が侵入中に地盤沈下を起こして閉鎖していると、逃げる頃になってGPSが情報を伝えてきたのだ。交通量の多い大通りなので夜を徹して作業しているらしい。こんなに銃を乱射してくるような奴らの事だから、表に出たって一般人を撃ったって気にしないだろう。いくらなんでもあの道は使えなかった。

「だからってこんな訳のわかんねぇ秘密の地下道選ぶこたねえだろう。」

またイライラと七見が返す。闇雲に走り続けていること自体に対してというよりも、飄々としている四世に対しての方が、怒りの割合が高くなっている。

「だっておもしろそうじゃん。」

四世は最終的にいつもこの一言に落ち着く。彼自身はその言葉にて全てを語ったつもりだったのだが、七見は黙って下を向いてしまった。

「…どしたの七見?」
「…っだからお前は駄目なんだよっ!!

七見がそう叫んだ瞬間、彼の怒りを体現するかのように鉛の嵐が降ってきた。ただし、標的は四世だけでない。後ろの奴らがとうとう追いついてきたのだ。

「ヤベッ!!」

慌てて二人は左右に飛び退き柱の影に身を寄せた。また、さっきと同じ事の繰り返しになってしまった。これで何度同じ事を繰り返しているのだろう?

さすがの四世もげんなりとして壁に頭をくっつけた。何かいい手はないものだろうか。このまま本当に明日の朝日を拝めないで終わるわけにはいかなかった。

「いい加減に何とかしろよ!!ルパン!!

向かいで相棒の怒鳴り声を感じる。傍では銃弾が空気と壁を掠める音が、ちょっと離れたところでは敵の銃声と作戦会議らしきものが、そして耳元では…。

「…歌声…?」

怪訝に思いながら、四世はさらに耳を壁にくっつけてみた。確かに壁の中からは微かな歌声が聞こえる。何の歌かはよくわからなかったが、静かなソプラノだった。こんな銃撃戦の中で悠長に歌を歌うバカはいないだろうから、きっと少し離れたところに安全な場所があるのだ。

どこだろう?

可能な限り身を引いた四世は、さっきまでもたれていた壁を改めて眺めて驚いた。暗くてよくわからなかったので柱以外はただの岩壁かと思っていたが、よく見ればここの壁は全てが人工でできている。穴を掘り、壁を作り、柱を備え付け、その周りを人工の岩壁でコーティングしたのだ。コンクリートで周りを整えるのならまだわかるが、なぜわざわざ岩壁を…?おかしな話だった。ここには何かがあるかもしれない。直感を信じて小さく壁を叩いてみて、それから辺りを撫で回して、四世はとうとう見つけ出した。

鍵穴だ。

「七見!!

ピッキングセットをいじりながら相棒を呼ぶ。一個先の柱に辿り着いていた七見が影からこっちを見たのを確認する。鍵自体はそんなに難しい作りではなさそうだから、少し弄れば開くだろう。

「何をやって…」

という文句が飛んだ瞬間に、鍵が開いた。ドアの向こうはここよりさらに暗くてよく見えないが、明らかに違う空間が広がっていそうだった。吉と出るか凶と出るかはわからない。しかしじっと待っているわけにもいかなかった。背に腹は変えられない。1%でも可能性を信じられる方へ行くしかないのだ。

「飛び込むぞ!!


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