幸せな話


12.旭日昇天

「今頃、うちにあった昔の見取り図に沿って、屋敷中に散らばってるパスワードをオレの相棒が集めてる頃だよ」

ドーンと、地下で手榴弾の爆発する音が聞こえてきた。ここは2階なので、きっとどこかに吹き飛ばされた床がある。それほどまでに生々しい音の合間に、サブマシンガンの軽い響きとマグナムの重厚な振動が、リズミカルに耳を鳴らす。本棚から本が落ち、酒棚から酒が落ち、銃器の規則正しいリズムに彩を添える。今にも、どこからか血飛沫のベーゼが降ってきそうだった。

なぁ、と四世が呼びかける。まるで旧友に語りかけるように。

「この世を生きるのに最も重要なことは何だと思う?」

薄目で見つめた煙の先に、片膝を着いて口元を押さえる男のシルエットがあった。風はある。されどそれ以上に発煙が酷かった。このままこの場所にいれば、間違いなくあと数十分後には見事な薫製になるだろう。それでも、四世は口元に浮かべた笑みを消すことをせず、ただ、男を見つめていた。

「…能力と…運と…感覚…だったかな?」

ふら付きつつも体勢を立て直しながら、男はデスクの隅にあった直径五センチほどの丸いボタンを押す。その途端、全てを隔てるような轟音と共に、窓という窓、壁という壁から分厚い鉄のシャッターが降りてきて、あっという間にVIPルームは小さな核シェルターへとその姿を変えた。空調が入ったのか煙がどこかへと運び出され、徐々にお互いはお互いの姿を認められるようになった。

「能力と、運と、感覚ねぇ」

男の答えに、四世は鼻を鳴らした。右手にはナイフが弄ばれている。隙を衝いて男の側にあった机上からくすね取ったそれは、つい昨日アンジェラを貫いた、ワルサー製のサバイバルナイフだった。

「君がそう言ったんだ」

男の手は無意識にナイフが置かれていたはずの場所を弄る。しかしその手が、盗られたことを認識した後も、男の顔色が変わることはなかった。

「オレじゃない。おじいちゃんだ」

シュッ、と空気を裂く音が鳴って、ナイフは男の人差し指と中指の間に刺さった。ボタンを押した、その指の合間に。それでも、男の手は微動だにしない。まるで、あらかじめそこにナイフが刺さることを予見していたかのように。

「オレはね、違うと思うんだよ」

ズンッ…と大きく振動して、部屋が一つ沈み込む。二人は互いに首一つ分空間を移動した。外で破壊を楽しんでいる相棒が、どこかで何か大切なものを撃ち抜いたのだろう。

「この世を生きる上で最も重要なことは」

カチャリという軽い音と共に、四世の懐からグロッグ17が姿を見せる。もう何年も使ってきてグリップは自分の手に馴染んでいる。最早四世がこうしようと思わなくても、忠実なこの片腕は、勝手に意を汲んで行動を起こしてくれる。そしておおよそ玩具の様にしか見えないこのプラスティック製のピストルは今、自然と己が吐き出す弾の照準を定める。

「忘れることだ」

パンッと、一つ派手な破裂音がした。直後、それは金属の合わさる鈍い音と共に男の頬を掠った。指の間に刺さっていたはずの牙が宙を舞い、背後にある本棚に再び刺さった。

「忘れること、か」

頬に浮き出た一筋の赤い筋を、男の親指が拭う。まるで取れたての果実のような色をしたそれを、その舌はさして驚くこともなく、心底美味しそうに舐め尽くした。

「そうかもしれないな」

言いながら背後に埋もれたナイフの刃を抜くと、男はしばらく見つめてから懐へしまった。

「一つのものへの執着心は身を滅ぼす。尤もだ。」

クッ、っと自嘲的に笑ったのは、男が先か四世が先か。二人はお互いにお互いを視線の先に留めながら、牽制しあうように、しかし同志と友好的な握手を交わすように、ジリリと一歩歩を進めた。

「よくわかってんじゃん」

楽しそうな笑みを貼り付けたまま、四世は照準を机上から男の眉間へと僅かに移す。アンジェラを殺されたことへの怒りか、それとも単に人を撃てることへの悦びか、その表情は人に悟らせることをしない。浮かび上がっているのは、「何か強い意志に支配されている」という事実のみ。

「だからあんたに残されているのは、「破滅」だけだよ」

「よくわかってるじゃないか」

今度は男が四世と同じ顔をした。それがわざとだと気付いて四世は初めて一つ舌打ちをした。食えない。わかっていたがこの男は食えない男だ。普通の人間なら、同じ顔をするどころか、得体の知れない四世の表情に幽霊でも見たかのような顔をするのに。奴は、気付いているのだろうか?しかしどう出るべきか考えている時間はない。その間にもこのシェルターを強い揺れが襲い続ける。まるでコンテナごと大きなクレーンで持ち上げられて、大きく揺さぶられているような、そんな揺れだ。下がどうなっているか四世には全くわからないし、七見と繋がっていたタイピンの無線機能は、シェルターが完成された瞬間に途絶えていた。

今、ここがマグマのど真中を漂っていると聞いても、正直否定しきる自信はない。

「では、破滅への道しか残されていないこの私から君への最後のお願いだ」

突然、耳元で空気を劈く音がした。気付いて一歩避けたその先へもう一発。油断して肩口を掠ってしまった。四世は慌てて設置されていたカウンターバーの中へと身を隠す。早い。目が男の手にある銃に気付くよりずっと早く、男は引き金を引いていた。

「願う相手に大層な仕打ちだな。こんなんでイエスと答えると思うか!!

言っている間にもシェルターの中に銃声は響き続ける。広がる弾の流れから両手で撃っていると推測できるが、それにしても銃弾の途切れる気配がない。恐らくは机の中全体が武器庫になっているのだろうが、男は一体何丁の銃を持っているのだ。

「答えてくれなくていいのだよ!!

カウンターに向かって集中砲火を続けながら男が叫ぶ。

「死んでくれればね!!

アルコールとガラスとコンクリートの豪雨に見舞われながら、四世はこのままここにいたらいずれ銃弾が貫通して自分を捕らえることを考えていた。捕らえられた自分は恐らく生きてはいないだろう。生きてはいない。即ち死。死んだら、地獄に落ちるだろうか?それとも、神の慈悲で、この可哀想な自分はアンジェラの元へ、今度こそ本当にその側へ置いてもらえるだろうか?

その可能性がいかほどか考えて、すぐにどう考えても無理だと悟る。オレが神なら、ここぞとばかりに地獄の刑の一端に使わせてもらうような大きな弱みだ。例えアンジェラが今まで多くの男共を殺してきた女で、例えその名前に反して地獄に落ちていたとしても。オレ達は天国と地獄に別れるよりも酷い目に合わされるだろう。自分ならそうする。

甘ったれていた自分の考えに、自然と四世の口元に笑みが浮かんだ。そんな目に遭い続けるのは真っ平ごめん。だとすれば今はまだ、この地上の地獄で大暴れを続けているしかない。

キュンッ、と再び耳元で音がした。音を辿ると、向かいの壁に弾丸がめり込んでいた。とうとう、分厚いバーカウンターを弾が貫通した瞬間だった。このままでは本当に死ぬ。しかし、弾の流れが止む気配もない。奴はどれだけ銃の試し撃ちを繰り返せば気が済むのかと思うほど、あらゆる銃を片っ端から撃ち続けていた。

「そろそろ、出ましょうかね」

誰にともなくそう独りごちると、四世は持っていたグロックのスライドを引いた。外ではきっと相棒が首を長くして待っている。頼んだ物も、大半はもう入手してくれているはずだ。

弾道を読みながら、注意して開いたばかりの穴を覗いてみる。男は穴の正面やや左、つまりは心臓を狙うにはちょうどよい場所に立って、一心不乱に額に汗して撃ち続けていた。開いている穴は15ミリに満たない程度。9ミリの弾を通すに全く問題がないほどの大きさで口を開けている。

「お前の願いはなんだ」

再び独り言を言いながら、穴の向こうの男を狙い定める。あれだけ切れる頭で四世を挑発していた男だ。ちょっとやそっとのことで気が狂うわけがない。追い詰められたとも思っていないはずだ。四世に死んで欲しいと男は言っていたが、絶対に狙いはそこではない。あの演技の先には何が待っている?

「オレだったら、どうする?」

トリガーをギリギリまで絞って、弾が発射される直前まで四世は考え続ける。あまり考えている余裕はない。今にも他の箇所に穴が開きそうだった。カウンターを形作っている木片がパラパラと音もなく舞い落ちてくる。そしてどこか一箇所でも貫通すれば、次は必ず体のどこかへ命中する。そんな位置にいるのだ。出来ることなら、今すぐに奴の心臓を貫きたい。そう思って、四世はとうとう最後の一ミリ、力を加えた。その瞬間、僅かに銃身は下を向いた。

 

「ぐぁ…っ!!

着弾の悲鳴が聞こえたと同時に四世はカウンターから飛び出した。同時に二発、撃って男の両手を動かせないようにする。撃つたびに男の体は弾かれ痙攣を繰り返した。これでもう銃の性能見本市は開催できないはずだ。それでも男は、引き金を引き続けようと倒れかけた体を引き摺り続ける。そこら中に散らばったハンドガンをどうにか拾おうとして、それを四世は順番にグロックで弾いていった。

「もう、無駄だよ」

最後に残ったベレッタM8000を、容赦なく踏みつけた。既に白さの欠片もなくなった絨毯の上で、それは小さくカシャリと言った。

「もう無駄だ。お前がやろうとしていることは全て。オレはお前の願いを絶対に叶えない。例えオレが死んだって、絶対に叶えない」

上から見下ろして冷たく言い放ったその顔を、男は一体どんな目で見ただろうか?自分の影で死角になって、表情はほとんど見えなかったが、大きく歪んでいたことはきっと事実だ。

「そうか…」

ベレッタを掴もうとしていた男の腕から力が抜けた。元々大して入らなくなった力を無理矢理入れていたのだ。その瞬間、ドッと大の男が血の中に倒れこんだ。弾いた血が、四世の履いていたスラックスを濡らした。

「お見通し…って奴か」

「芝居が下手なんだよ」

「…そうか…」

「それから」

突然、四世は自分のつま先を思いっきり男の口の中に突っ込んだ。ガキッと鈍い音がして、男の顎が外れた。四世の履いていた黒の上等な革靴が、半分まで咥え込まれる。そしてそれは、舌でどうにかしようとしても決して抜けない類のものだった。これで男は舌を噛めない。即ち、自殺も出来ない。

「もうすぐお前の大好きな刑事さんが迎えに来るだろう。それまで、いやその後も、悪いがオレはお前を簡単には死なせやしねぇ」

スポッと、四世は靴を脱ぐ。その動作が自分でもなんともマヌケなように写って、四世は口いっぱいに靴を詰め込まれて自然と涙ぐむ男を見ながら笑った。

「オレを利用しようなんざ100年早えんだよ」

いつの間にか、シェルター内の揺れは収まっている。もしかしたら、外に警察がなだれ込んでいるのかも知れない。表の人間が介入してきた瞬間、裏の人間は雲の子を散らすように逃げて行く。

「出会っちまったのが運の尽き、だな。お互いに」

そう言って、四世は片足靴下のままシェルターの鍵を開けて出て行った。鍵は男の懐の中に入っていた。指紋照合もついていたが、それはこの前に忍び込んだ時、とうに摂取済みだった。

出た瞬間に大量の煙を吸い込んで大きくむせた。マグマとまでは行かないが、周りは火の海。警察どころではない。四世はそっとシェルターの扉を閉めた。

走る速さが自然と速くなる。

相棒が、どこかで待っているはずだ。


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