Blue daisy
「うおっ…お前…何やってんの…?」
思わず変な雄叫びを上げて、オレは持っていたフォークを取り落としそうになった。新築のマンションの最上階。セレブが住むにはちょっと狭いかもしれないけどIT企業の若手社長が住むにはちょうどいいんだろう微妙な広さのこの部屋は、リビングだけで30畳はある。新しい生活の門出にと、大枚を叩いて買った。白と黒を基調にまとめられた簡素な部屋は、自分で言うのもなんだけど大人っぽくて気に入っている。黒いダイニングテーブルを挟んだ向かいでは、ついこないだ落としたばかりの新しい相棒が一緒に朝飯をつついていた。オレにとっちゃ申し分ない平和な朝の一幕。ただし、たった一つを除いては。
「何って…?」
迷うことなく「ソレ」を口に放り込んだ七見は、不思議そうにオレを見た。
「何ってって…。お前…何に何かけて食ってんだ」
「は?」
不思議そうな顔をしながらも、こいつは食事をやめようとはしない。白い皿の上には白身の綺麗な目玉焼きと筋の綺麗なベーコンがいかにも食べて欲しそうに並んでいたけど、上に塗りたくられたクリーム色の物体が彼らの努力の全てを無駄にしていた。七見の視線を無視して皿を凝視していると、また一切れ、ベーコンとしての品格を失ったベーコンが消えた。
「朝から何なんだよ」
それでも真意に気づいてくれない鈍い相棒は、オレの態度に段々気分を害してきたらしい。しかめっ面の言葉に棘が入ってくるようになった。なんでこんなにも主張してるのに気づいてくれないんだ?
「お前。目玉焼きにマヨネーズかけるのか?」
仕方なしにオレは不満を疑問として正直にやんわりと尋ねてみた。今日は午後から仕事があるんだ。こんなことでギクシャクしてたら奪えるもんも奪えなくなる。
「お前こそ。目玉焼きに醤油なんざかけちまったらしょっぱくて食えやしねぇだろうが」
「いやいや。目玉焼きには醤油がベスト…ってか普通だろ?マグロの握りにマヨネーズをかけるヤツがいないように、目玉焼きにマヨネーズかけるヤツなんて普通いねぇんだ。大体、卵に卵かけるってどうなんだよ」
「マグロにマヨネーズかけなくたって、シーチキンにはかけるだろうが。俺だって生卵にマヨネーズかけようとは思わねぇよ」
ま、そんなこたどうだっていいけどな。と最後の一切れをトーストと一緒に食いきった七見は、そのままオレの皿を見ることもなく台所へ去っていった。
ま、そんなこたどうだっていいけどな。
本当に?なんだか煮え切らない気分で、オレは醤油をかけすぎて食えたもんじゃなくなってしまった目玉焼きを、無理矢理口に押し込んだ。
東京都は渋谷区にある花博物館。毎日お祭り騒ぎの駅前から真っ直ぐ歩いて公園通りをちょっと進むと、わりかし大きい日本タバコ博物館にひっそりと隠れるように建っている。渋谷ってのは意外と博識な街で、他にも博物館とかそういう類は街中に点在しているのに、花博物館は特に忘れ去られた存在らしい。ほぼ打ちっぱなしのコンクリートで固められた建物は周りの雑居ビルとは馴染んでいるけれど、その可愛らしい名前には全然合っていない。この渋谷にあって年間来館者は20人を超すかどうかだという。オレは最初に来た時、ここは本当に博物館としてやる気があるのかどうなのか建物に聞いてみたくなったぐらいだ。
「あそこか?」
隣でスタバのストローを咥えた七見が聞いた。いかにも胡散臭そうな顔をしている。無理もない。作戦を練る時に写真で外観やら内装やら一応見ているものの、やっぱり実際にこのやる気のなさを見てしまうと七見じゃなくたって胡散臭く思う。渋谷なんて繁華街に建ってるんだから、もうちょっと可憐にしたってバチは当たらないだろうに。あれじゃあ花好きじゃなくともガッカリしてしまう。
「そう、あそこ。花博物館。世にも貴重なブルーデイジーが眠ってる宝箱」
「ふうん。あそこがねぇ」
七見はつまらなそうにコーヒーを啜った。オレは特に何も言うことなく周囲を見回した。
オレたちが今立っているのは博物館向かいのでっかいホテルの前。ここは待ち合わせの人が多く、オレたちがキョロキョロしていても不思議には思われない。
「警備の人数は…それほど多くはないね」
三日前に大岡には予告状を出してあったから、あの建物の中には奴もいるはずだ。通りに配置されているのは向こう側とこちら側合わせて6人。うち二人が入り口に立ってる制服警官で、あとは無線を付けた私服刑事だった。たぶん、大方は建物の内部にいるんだろう。
「ホントにそこまでして盗む価値あんのか?」
目線をビルの上方に移していると、この期に及んで七見が言ってきた。まだ不安なのか?この質問は、何度も何度もあのマンションで繰り返されてる。
「しつっこいぞ七見!!ホントだって!!あそこにあるブルーデイジーだけが、由緒正しい本物なんだ」
「ふうん」
また、興味なさ気に七見がコーヒーを啜る。今度はオレも手持ち無沙汰だったので、仕方なしに同じスタバのコーヒーに口をつけた。
「じゃ、そろそろ行くよ」
「はいよ」
足元に置いていた「東京名物ごまたまご」と書かれた紙袋を持って、七見がコーヒーを飲みきる。二人同時に放り投げたプラスチックの容器はゴミ箱の真上で衝突し、ギリギリ淵に引っかかってから中へと吸い込まれた。
あぶねぇなぁ…。この仕事。
そんなに大変な仕事じゃないだろうにも拘らず、オレの心は不安でいっぱいになってしまった。そしてオレの勘は、不思議なほどよく当たったりするんだ。
「大丈夫かね?」
そう呟きながら歩くオレを七見が溜息を吐きながら振り返る。お前が心配になってどうするんだ、とういう目だった。まぁ確かに、言いだしっぺはオレだしな。