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「オレは、あれからしばらく人間不信に陥ったんだ」
「何言ってんだ。あれほど真摯にお前を守ってやろうって奴は俺以外にいなかったはずだぜ。感謝こそされても、恨みを買うようないわれはねぇ」
アジトのテーブルには、ブランデーと二人分のグラス、それからノートパソコンが一台と中国語の資料が散乱していた。どれがどれだかわからなくなりそうになりながら、四世は書類をまとめてパソコンへ入力していく。それを横目に見ながら、ソファに寝そべった次元がビーフジャーキーを摘んでいた。
「親父は結局オレに怪我してるって事実教えてくれなかったし、地図は他の4枚全部焼失してるし、何よりロジャーは次元さんの元相棒でずっとオレを見張ってたんだから」
「わざわざ道中でチンピラのひったくりにお前とぶつからせて、「怪しい人間」を作り上げるところがあいつの用意周到なところだったな。もし、ワインセラーの中でカーティスを見つけていなければ、お前はずっとチンピラを追いかけていただろうからな」
「感心してる場合じゃないよ。オレがあそこで出て行かなかったら、次元さんは今頃このアジトの怨霊になってたんだから」
「怨霊とは、また酷い言われ様だな」
フンと鼻で笑った次元を睨みつけて、四世はまた入力作業に戻っていった。
「ま、お前のおかげで相打ちで済んだのは確かに恩に着るよ。俺もカーティスも、昔の相棒を失くさず済んだ」
四世の登場に気を取られたカーティスを、次元は見逃しはしなかった。避けきれずに右の大腿骨を貫通する怪我を負ったものの、咄嗟にマグナムを拾い上げて撃った先はカーティスの右腕だったのだ。元々がボスの私怨でここまでやって来ていたような組織だったから、撤退するのは何より早かった。
それから十数年。アジトは改良に改良を重ね、さらに強固な要塞へと化し、身内はまた滅多に使わなくなった。カーティスは、数年前にどこかの町で病死したと風の噂で聞いていた。
このアジトで二人が会ったのは、本当に偶然だった。四世が自分の周りをブンブンと煩く飛び回る正体不明の人間達にうんざりして逃げてきた日と、暇を持て余していた次元がルパンを探してやってきた日が、たまたまかぶったのだ。世界中に散らばるルパン一味のアジトの中で、特に普段は近寄られることのないこの場所を二人が選んだのは奇跡に近い。お互いの目的もそこそこに、取りあえず乾杯をして昔話に花を咲かせていたら、ここで起きた出来事に行き当たった。というわけだった。
「お前はあの頃、俺のことを女みたいな名前で呼んでたな」
「弟子になるにあたって、呼ぶのを辞めたんだ。実は寂しかった?」
「フン、バカ言え。いつまでもあんなあだ名使われて溜まるか」
アハハ、と笑う四世の声が部屋に響く。呼び方こそ改まったものの、四世の中での次元の位置はいつまでたっても変わらない。
「それにしても親父ったらまぬけなことこの上ないね。あの古城、当時からただの公園だったじゃないか。わざわざ警察呼びつけて自分から弾に飛び込んで行ったなんて、笑えもしないドジだよ」
「まぁ、そんなに言ってやるなって」
掛け声をかけながら腹筋だけで起き上がった次元は、空だったグラスにブランデーを注ぐと一口喉を潤した。
「なんで? 怪我さえしなけりゃ、このアジトだってこんなにボロボロになることはなかっただろうし、地図だって無事だったかもしれない」
少しも入力の速さを衰えさせることはせず、四世は口を尖らせる。エンターキーを押して次ページへ切り替わるその間を狙って、ブランデーを口に流しこんだ。すぐにまた両手は動き出す。
「ま、そもそものヘマした自分が言うのもなんだけど」
「お前、そんなにあの地図が惜しかったのか?」
「だって、地図は泥棒のロマンじゃん」
わけのわからない四世の地図への執着に、次元は本気で可笑しくなったらしい。突然大声を上げて笑い出すと、終いには目じりの涙を拭う始末だった。先程の四世など比にならない。こうなるとしばらくは何を言っても無駄なので四世はむっつりと黙っていたのだが、たぶん次元は気をよくしたのだろう。思いもしなかった新事実を打ち明けた。
「…ルパンが気を逸らした時、その右側に何が見えたか知ってるか?」
「…さぁ? 裸の美女が載ってる立て看板とか?」
「大学だよ」
その一言に思わず、キーボードの音を止めてしまった。
「……なんだよ、それ」
「アイツも焼きが回ったもんだと当時は本気で心配したんだぜ。ただの人の親に成り下がりやがったって。でもな」
もったいぶるように次元が言葉を切ったため、四世は視線を次元へ移さざるを得なくなった。それに、ここでの話はもう何度も次元ともルパンともしているが、こんな話は初耳だった。自分のせいであの時アジトはコテンパンにやられたと思っていたが、そもそも、ルパンが前日に怪我をしたことすら自分のせいだったというのか。だとしたら、この世に自分さえ存在しなければ一連の出来事は全て起きなかったということになるではないか。
複雑な顔をしながら耳を傾ける四世に、次元はさらに気をよくしてグラスの中身をもう一度呷る。それからもったいぶるように一言だけ言った。
「お前がいなかったら、ルパンも俺も今頃この世にいなかったぜ」
その表情は、まるで秘密を初めて打ち明ける少年のように生き生きとしている。
「は?」
さっぱりわけがわからず、四世は聞き返した。しかし、それにはもう次元は答える気がないようで、すぐにまたソファへ身を沈めてしまった。あの時と変わらない、今でも背中のスイッチを入れればトラップが動き出す二人掛けのソファ。
「…なんか、腑に落ちないなぁ…」
そう呟きながらも、四世は再び入力に専念することにした。
恐らく、今の自分には絶対にわからないんだろうと無理矢理納得させながら。
四世の目の端に一瞬だけ映った次元の表情が、そんな様子を見て少しだけ柔らかくなったような気がした。
END
2009/12/28
MOSCO