唐橘の花
5
「一番最初にアジトまで辿り着いたヤツが朝飯当番だかんな!!」
牢獄の鍵と縛られていた縄を斬ってやるとそう言って、ルパンは次元と五ェ門の反論も聞かずに渦中へ飛び込んで行った。あの様子だと相当頭にきていそうだったが、勿論、台詞はわかって言っているのだ。方角的に、自分が最初に戻れるような事態には絶対にならない(何せボスに向かって飛び込んでいったのだから)。
五ェ門自身の追手は全て斬り倒してきた。なるべく急所を突かぬよう狙っていったつもりだったが、なんせ数が多すぎた。どれだけの者が自分の切っ先に触れていったのか、正直覚えていない。袖に付いた血の痕が、敵のものか味方のものか、それとも自分のものなのか、そしてどこを斬ったものなのか、考えることも煩わしかった。
その上朝飯か。
溜息をつきながら、十数時間前に引き摺り出されたアジトに戻ってきた五ェ門は玄関までの砂利道を歩く。
嫌な予感…というか確信があった。ルパンが帰ってこられるわけが無い。次元はそれを見越してどこかで油を売っているだろう。不二子など、とっくに何処かへトンズラしていた。
「一番に辿り着くのは拙者だ」
思ったとおり、出て来た時のまま、半分開いた戸は何の抵抗も無く五ェ門を迎え入れた。
中に入り、二度目の溜息と共に戸を閉めながら思う。
人を斬った事よりも朝飯当番に憂いている。
所詮、己の道はそんな道だ。
きっちり一時間後。
「ホントに作ってんのかよ!!」
キッチンを覗いてあんぐりと口を開けた次元が、咥えていた煙草を落としそうになって慌てて拾った。木造家屋に火が点いたら一巻の終わりだ。
「約束だろう」
菜箸で魚をひっくり返しながら、渋い顔の五ェ門は返す。だからお主は今まで帰ってこなかったのだろうと。
「ルパンはどうしたのだ」
テーブルの上に置いてあったたくあんをつまみ食いしていた次元は、その言葉に一時目をぱちくりさせる。それから、ゴソゴソと携帯GPSを確認して画面を向けた。
「チッ。こりゃ温泉だな。行きがけに襲われたのが相当頭にきてたらしいぜ」
「大層なご身分だな」
温泉一回の為に組織を一つ破滅させたか。ルパンらしい。ちらりと見てからフッと笑った五ェ門に、次元はもう一度目を瞬いた。
「おめえさんの機嫌は直ったのかい?」
一瞬、持っていた箸の手が止まる。
「何の話だ」
悟られないようそのまま箸を置き、今度は味噌汁をかき回す五ェ門の背に、チクチクと次元の視線が刺さった。
「お前なぁ…」
「たぁ〜だいまぁ〜!!」
突然の大声に、怖い顔で身を乗り出しかけていた次元が止まった。
「オッ!!魚の匂い!!イッチャン乗りは五ェ門だな!!」
「チッ。うるせぇ野郎が帰ってきやがった。五ェ門、後でゆっくり話を聞かせてもらうからな」
それ以上追求することはせず、ドカドカと今度はルパンへ文句を垂れに向かって行った。
「なぁなぁ表にかあいいべべ着た子供達がわんさかいっけどよ!!七五三かねぇ」
「そんなことよりルパン!!てめぇどこで油売ってやがった!!」
次元も口には出さないが、よほど温泉に行きたかったのだ。
五ェ門は、再び口元に笑みを浮かべながら、卵を溶きにかかった。
「いやぁ、やっぱり日本人は温泉と米だねぇ」
「お前日本人だったのか」
「気分の問題だよ!!気分の!!それにしても、さっきの七五三かあいかったなぁ」
「馬子にも衣装ってのはああいうこと言うんだな」
「次元、子らに失礼だぞ」
「そうだぜ次元。未来のカワイコチャ…イテッ!!冗談だろっがよ、五ェ門!!」
「俺にも冗談には聞こえなかった」
「ゴホンッ…それにしてもよ、最近の七五三は真夏とかにやったりすんだろ?ありゃあいけねぇな。風情が台無しだぜ」
「お主に風情がわかるのか」
「じゃあ何だ、俺の意見に反対か?」
「反対とは言っておらん」
「反対と言えばなルパン。次の仕事、俺は反対だぜ」
「何でだよ次元!!」
「不二子絡みだろ」
「ギクッ」
「不二子だと?」
「おい五ェ門からも言ってやれ。こいつは何度痛い目見てもわかりゃしねぇ」
「うむ。たまにはよかろう。乗ってやる」
「そうだぞルパン…って。は?」
「…どうしちゃったの、五ェ門?」
「二人には一つ借りができてしまったからな」
「さぁすが五ェ門!!それでこそ俺の相棒だ!!」
「…まさかその為にあのお嬢さん引っ張り出してきたんじゃあるめぇな」
「ま、まさか!!考えすぎだよジゲ〜ン」
「む。聞き捨てならん言葉だな。どういうことだ次元」
「こいつ、お嬢さんたきつけるためにわざとテレビに映りやがったんだぜ」
「ナニッ!!ルパン貴様、紫殿をなんだと思っている!!」
「イヤイヤイヤイヤ!!あれは偶然だ!!嘘に決まってるだろ嘘に!!斬鉄剣仕舞えって!!」
振り被った斬鉄剣がルパンの頭上をめがけて勢いよく下ろされていく。半泣きで叫びながらも間一髪でルパンの両手が刃を捉える。我関せずと、次元の箸がルパンの焼き魚をつつく。
それは自らが考えるに何よりも平和な光景だった。
最初に、耐え切れなくなった五ェ門が笑い出した。結局全ては無駄だった。
つられる様にルパンが白刃取った斬鉄剣を揺らし、最後に次元が一際大きな声で家中を揺らす。
五ェ門には可笑しくて仕方が無かった。
思えば、今回ルパンが選んだ獲物は自分の趣味に合っていた。
それから不二子の言葉に英語を連想した自分。
温泉に行きたくて腹を立てていた次元。
日本の風習に憂いているルパンの表情。
今、三人でこうしていること。
何より、明日をも知れぬこんな稼業を背負っているというのに、それでも離したくない誰かを持っている自分。
全てが可笑しかった。
こればかりは、どんなに修行を積んでも解決できる類の矛盾ではない。
悟れぬことを悟るより他はなさそうだった。
その日の午後、
丸い地球の東の果て、
遠い昔に忍者が住んだと言われる飛騨の地に、
澄んだ初冬の空の下、
久しぶりの再会を喜ぶ声が木霊したという。
―完―
―本日のお品書き―
白米
味噌汁
焼き秋刀魚
だし巻き卵
納豆
たくあん
2008/11/15 MOSCO