唐橘の花


1
虫の声
風の凪ぐ音
木々の擦れる音
遠くで流れる小川のせせらぎ
獣の寝息
自らの心音
 
リビングでルパンと次元が話しているのが聞こえる。
 
不意に弾ける次元の笑い声。つられたように続くルパン。
 
 
突如乱れる心音。
 
 
収まらない。
 
落ち着かせようとすればするほど、耳は鋭い針を延ばすかのようにルパン達へと吸い寄せられ、心は取り乱される。
 
嘲る様に笑う、二人の声が耳を突く。
 
今日も駄目だ。
 
簡素な造りの和室の真ん中。行灯の傍で突如立ち上がった五ェ門は、観念して水を取りに行くことにした。この心地よい月明かりと仄かな火の傍からは離れたくなかったのに。
ふらふらと、夏の虫のように明るい照明に吸い寄せられる。
 
「よぉ五ェ門、起きてたのかい?」
リビングを通ると、気づいた次元が目尻の涙を拭いながら聞いてきた。
「ちょっと聞いてくれよ。ルパンの野郎がな…」
「わぁ!!次元!!タンマタンマ!!」
次元の口を押さえようと飛び掛るルパン。避けようとしてソファからずり落ちる次元。どうしてこうこの二人はいつも楽しそうなのか。
「お主らは…」
それだけ言って、ため息をつきながら通り過ぎる。今の自分は、長くいるとこの空気を壊しかねない。
そんなことも知る由がない残された二人には、五ェ門が呆れて出て行ったように見えた。わけもわからず、消えた方向をきょとんと見つめる。
「ったく。あのお侍はいつになったらユーモアというもんを学ぶのかね」
「…一生無理じゃねぇか?」
 
一方、ダイニングの電気はつけずにキッチンの蛍光灯だけつけた五ェ門は、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、テーブルに置いたグラスに注ぐ。
すぐに外側に浮き出る露。
斬鉄剣で切り離すことをぼんやり考える。
ガラスの中と外での温度変化によって生じる水分は、一度切ったくらいではなくならないだろう。延々と。中に入っている水が常温になるまで、際どい所作を繰り返すことは、結構な鍛錬になりそうだった。
 
いや、そうではなく。
 
頭を振った五ェ門は、一気に中身を飲み干した。
 
手を離したグラスの外側から、雫が一粒、落ちてゆく。
まただ。また始まってしまった。
 
ルパンと次元。
それが五ェ門の心労の元だった。付き合い始めたばかりの頃は常に思っていたことだ。今でも、時々発作のように、寄せては返す波のように、自分の心をざわつかせていた。
修行が足りない証拠だと、いつも自嘲するしかないことなのだが。
 
『彼らはなぜ、自分を受け入れたのか』
 
このことばかり考えてしまう時が、数年に一度不意に訪れる。
文化も嗜好も考え方も己とは違う。
それなのに、仕事の度にこうして結局三人でやることになるのは、彼らが己の腕―鋼鉄を切り裂く事ができるのは世界でただ一人と自負もしている―だけを欲しているからではないか。
そうでなければ、ここにいる意味がわからない。
 
フ―。
また一つ、五ェ門は小さく溜息を吐いた。
だから何だというのだ。
共に仕事をすると、遠い昔に心に決めたのは自分である。それに対して今更迷いが生じてどうする。彼らが斬鉄剣というお宝や秘伝の書に『付随する』自分の腕を欲していたのは最初から周知の事実で、向こうが己を利用しようと言うのなら、こちらも彼らを利用してやろう。修行の一環にくらいはなるはずだと。
決めたのは自分なのだ。
 
考えても仕方がない。というよりも、長年共に戦ってきた相手のことだ。考える類のことではないはずだ。
 
わかっている。
自分はわかっているのだ。
 
とにかく決行の日は近い。
 
再び頭を振りながらリビングに戻ると、もう二人の姿は消えていた。


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