この愛の歌を歌おう







「次元!!こっちだ!!」
「ルパン!!おめぇ、フラフラじゃねぇか!!」
「この先に…!!いるはずだ…から」
「おい!!もう喋るな!!」
「…お前の妹は…助からなくちゃ…なんねぇんだよ…」
 そう言いながらガクリと膝から落ちたルパンの体を、注射器を捨てた次元はすんでの所で受け止めた。背後からこっそり打った麻酔薬は、少しもぶれることなく首元に刺さっていた。信じられない思いでしばし呆然とする。こんなことは次元の人生の中で初めてのことだった。普段のルパンならば、そんな失態は例え次元相手にだって冒すことは無い。自らの危険に気付けないほど疲弊している証拠。その事実は、今のルパン三世にとっては致命的だった。
「すまねぇ…ルパン…」
 思わず呟いてから、担ごうとその体を見る。が、全身包帯に包まれ、一体どこを支えて歩けばいいのか皆目見当がつかない。変装して透明人間のような格好をしているのかと思っていたが、この弱りようからすればそうではないようだった。ここかと思って抑えかけると、その奥から血が滲む。じゃあ、と別の場所を押さえれば、そこからも血が噴き出した。慌てて手を離すと、力の入らなくなったルパンの体がずり落ちそうになって冷や汗を掻く。次元が自分で招いた事態にも拘らず、一体どうしたらよいのかと完全に途方に暮れてしまった。そうこうしているうちに、風に煽られて包帯の結び目が一つ解けていった。
「…ッ!!チクショウ!!」
 なんとか手に取り手繰り寄せてみる。緩んだ隙間から、ルパンの地肌が見え隠れしていた。結び直そうと患部を覗き、次元は自分の目を疑った。
 次元の覚えている限りでは、ルパンの肌は白人のように白かったはずだった。小さい頃からどこか儚げで透き通るような白。それはいつか突然消えていってしまいそうなほどで、少年だった次元は毎朝不安に駆られて、いの一番にルパンを叩き起こしに行っていた記憶がある。
 その、思い出の中の白い肌の面影は、包帯の隙間からはただの欠片ですら残っていなかった。今のルパンの肌は、列車事故の時の火傷によって真っ赤を越えてどす黒く変色した筋肉をそのまま晒していた。黒人でも、白人でも、次元のような黄色人種でもなく。自分が今まで「修行」と称して奪ってきた数々の命が消えた後に見せた「死の色」だった。この状態から無事に生き延びた者は自分の知る限りほぼいない。人の気配に気付くどころか、歩いて、喋って、息をしていたついさっきまでの方が明らかに奇跡だ。
「…ルパン…」
 次元は思わず名前を呼んだ。何かの為にここまで体を張る男に、裏切り行為を働いていた先ほどまでの自分を悔やんでも悔やみきれない。
プッと小さな音がして、患部が裂けてしまったのが見えた。血が、小さな玉となって噴出し始めた。もう、どこを支えても同じなのだろう。止血の意も込め改めて包帯を結び直すと、ルパンの動脈が破裂しないよう、それだけを注意して抱え上げた。自分と差して体重は変わらなかったはずだが、重さという重さが感じられない。一体この男は、今までどれだけのものを落としてきたのだろう。
 次元はしばらく考えた末に、ルパンの指示は一度無視することにした。少し先の郊外にある安全そうな廃屋を見つけると、そこに転がり込む。キングは今頃ルパンの怒りの業火に焼かれているだろうが、奴の手下達はまだその事実を知らずにルパンを探し回っている。見つかってしまえば後はない。次元は埃の被ったベッドにルパンをそっと寝かせると、自分のタイピンを包帯だらけの腹に乗せた。スイッチを入れた途端、先端が赤く光り出す。
「すぐに、助けが来るはずだからな…」
 正体は発信機。通じている先は、ルパンが帰って来た時の為に帝国の若者達がこっそり結成していた制圧組織だった。医療に軍事に、次元のような次世代を担うエキスパート達を帝国中から集めていた。妹が人質にさえ取られていなければ、スパイとして潜入していた次元を筆頭に制圧軍として正常に機能していたはずだった。帝国がここまで酷い事態に陥ることもなかったはずだ。
 キングが反逆軍として有能だったのは、敵の頭脳部分である次元だけをうまく刈り取ったことだった。無駄な兵を使わず、余力を残して制圧を止めた。だが、今となっては逆にそれがあだとなった形になるだろう。制圧軍は次元が寝返っていたことをまだ知らない。ルパンに一番近いと言われていた男がまさか裏切るとは、露ほども思っていないからだ。発信機が発動されれば、確実に反応する。
 そしてルパン帝国は、ルパンさえ助かればまだ復活の可能性を残しているのだ。
「まさか、タイピンをこんな使い方するとは思ってなかったぜ」
 自分の救助用だったはずなんだけどな、と一人自嘲的に唇を歪めた次元は、一瞬ルパンの頭を撫でてから小屋を後にした。
「お互い、生きてたらまた会おう」
 ずっと付いていたい気持ちは山々だったが、妹を助けることはルパンの最後の意地でもあった。兄である自分が、それを諦めるわけにはいかない。
「…クッ!!」
 外へ出た途端、次元は突然の熱風に包まれた。吸い込んだ息が思いがけないくらい熱く、慌てて咳き込む。何があったのかと登って来た丘の上から見渡せば、ルパン邸含む中枢機関周辺が火の海だった。次元のいる辺りはまだ風向きでたまに熱波が襲うくらいだが、この様子では長くは持つまい。ルパンが爆発させた爆弾は、思いのほか大きい威力で町中に火の粉を撒き散らし始めていたのだ。爆心地付近にいたキングや峰不二子はきっと、業火に焼かれるどころかとっくに跡形もなくなっているだろう。
 急がなくては。
 次元は炎のちらつく方向に向かって走り出した。ルパンに指された道まで戻ってしばらく進むと、つきあたりに小奇麗な一軒家が見える。赤い屋根に四角い煙突、レンガ造りの壁。一見すればまるで御伽噺に出てくるような大きな家。しかし幸せの象徴のようなその周りでは、綺麗に咲いていたはずのパンジーやチューリップが、炎に踊らされながらチリチリと悲鳴を上げていた。
 あれと同じ運命が、もしかしたら妹にも迫っているかもしれないのだ。そう思った瞬間、今までルパンの惨状をどうにかすることで抑えられていた次元の自制心が外れた。猛然と坂道を駆け上がり、家を囲う柵を飛び越える。ルパンは妹がここにいると言った。その発言に嘘はないという確信はあった。嘘を吐く事が日常会話の大半を占めるルパンだったが、ここぞという場面で裏切られたことはただの一度だって無い。
ッ!!ッ!!」
 熱くて触れなくなったドアを蹴破ると、次元は大声で妹の名前を叫び続けた。ドアから酸素が送り込まれたことで、屋内へ移った火が膨張し始める。花を燃やしていたそれは、煉瓦に熱気を伝え、耐えられなくなったカーテンへ侵食し始める。あっという間に燃え広がり、部屋は地獄へと化し始めた。
!!返事しろッ!!」
 まだ果たしていない約束があるのだ。ふと、そんなことまで思い出す。焦れば焦るほど、自分がどこで何をしていいのかがまったく判らなくなっていく。一応エリートと言われながらルパンの隣で育った自信が、ガラガラと音を立てて崩れていった。無茶苦茶に走り出したくなるが、そうすればを助けるどころか、見つけることもできないまま犬死することになってしまう。それだけは、絶対にしてはいけないことだった。絶対に、二人で無事に抜け出さなければならない。次元は歯を食い縛った。今、辛いのは自分だけではないはずだ。
 「妹は助からなくてはいけない」とルパンは言った。それが何を意味するのか、判らないほど次元は子供ではなかった。あの子は、は、次元にとってだけではない。大切な人全員を失ったルパンにとってまでも、最後の希望だったのだ。
!!」
 ルパンの分も、もうこの世にはいない兄や両親の分も。次元は声の続く限り叫び続けながら走った。
 しばらくの間一階を隅々まで回ったものの、妹の姿はどこにも見当たらなかった。広い家にも隠れるところには限度がある。火に追われて上へ逃げたのかもしれないが、そうであるならば余計に危険だ。煙は上へ昇っていくから、窒息死するには二階の状況は一階よりも好条件のはずだった。
「んな目に合わせて溜まるか…」
 ギリリと唇を噛むと、次元は意を決して上への階段に足をかけた。この身に代えてもだけは。絶対に守り通さなければいけない。
 決心と共に一歩ずつ登り出した時、足元で「ゴトン」と小さな物音がした。家財道具が燃え落ちている中で、次元がその音に気付けたのは奇跡に等しかった。火事場効果が現れたのかもしれない。それとも、極限状態で未知の才能が開花したのかもしれない。どちらかはきっと永遠に判らないだろうが、とにかく次元はその音を見事に拾った。
「…なんだ?」
 下に誰かいるのだろうか?敵?味方?人間?
 上へ登りかけた足を戻すと、階段下の壁の前に立つ。うっすらとではあるが、隠し扉のようなものが見えた。
 まさか。
 はやる気持ちを抑えて、取っ手を探した。どこかに、あるはずだ。もしかしたら、はここに監禁されていたのではないか。もしかしたら…まさか…いや…確実に!!
 焦れば焦るほど、ドアノブらしきものは見つからない。先ほどまでと同じ思いがまたフラッシュバックしていく。帝国の養成学校での実技では常にトップか次点を誇っていたはずだったはずなのに、肝心な時には全く役に立たない。情けない自分にも、見つからない扉にも腹が立って頭に  血が上った次元は、とうとう腰からマグナムを引き抜くと、壁に向かって斜め方向へと弾を撃ち込んだ。ちょうつがいがあるのではないかと、目測を立てた二箇所。
 始めガキンガキンと鈍い音を立てたその壁は、次元が思いっきり蹴り倒すと特別抵抗もなく四角く開いた。きっと、熱で金属が柔らかくなっていたこともあるのだろう。
 燃え盛る炎に照らされ、小さな隠し部屋の内部が明らかになる。中は空洞。密閉されていたのでさほど煙も入り込んでいないようだった。そのかわりに灼熱地獄のような熱さだ。蜃気楼まで上がるようなその中に入り込んだ次元は、今度こそすぐに見つけ出した。
!!」
 妹は、奥で縮こまって倒れていた。慌てて駆け寄ると、汗でぐっしょり濡れた小さな体を力いっぱい抱きしめる。耳元で聞いた心臓の音はか弱いながらも正常だ。大きな怪我も、見たところどこにもしていないようだった。
 しかし、この熱に肺がどんな損傷を受けているかがわからない。一刻も早く病院へ連れて行かなければ。
 軽くなったルパンよりもずっと軽い妹の体を抱え上げてよく見れば、両手と両足をロープで縛られ、口はガムテープでふさがれている。声も手も使えない彼女が取った最後のSOSが、狭い空間で階段へ体当たりすることだったのだろう。ピンク色のパーカーを着たその背中と、次元によく似たクセッ毛気味の黒い髪が、埃で白く染まっていた。
「…よく頑張った…」
 そっと拘束具を外してやり、再びしっかり抱きしめる。
 空いている手の甲で、汗なのか涙なのかすっかりわからなくなった顔の水分を一度拭うと、次元は頭を切り替えて立ち上がった。

 を背負った次元が脱出した十秒後。
 御伽噺の綺麗な家は炎に包まれて崩壊した。

 追っ手を気にしながら、終始朦朧とした意識のを遠く離れた町の小さな病院へ預けたのは二日後。その間に、風の噂でルパンが生き長らえたことを耳にした。

 傷の手当を終えてベッド横たわる彼女は、寝ている間中次元の名前を呼び続けた。夢を見ているのか、眉間にしわを寄せて涙を流している。
 次元は、そんな妹の手をずっと握りしめてやりながら傍にい続けた。
 そして、頬を伝わる涙を拭ってやりながら考え続けたのだ。

 もしもルパンと共に生きることを選んだ俺が隣にいたら、こいつは一生幸せになれないだろう。








  NEXT→