Blue daisy


「地図見ながら、絶対うまくいくとか言ってたのはどこのどいつだ?」

しばらくして追いついた七見が走りながら聞いてきた。無表情。入り口の惨状を見たんだろう。変装までさせやがってとか何とかまだグチグチ言ってる。へこんでるのはオレだって一緒なのに、なんでこいつはこんなに女々しいんだ。自分で見つけた相棒のはずなのに、えらく腹が立って仕方がない。ずっと黙って聞いてるほどオレは気が長くないんだ。とうとう堪忍袋の緒が切れた。

「うっさい!!おまえがそんなにグチグチ言ってなければ成功してた!!

一瞬、また七見がこっちを見る。でもその目はさっきまでと全然違う。こいつも怒ってるんだ。

「俺のせいにすんなよ。てめぇだってしょっぱなから『50回目の…』とか言ってアホなミスしてたじゃねぇか!!資料は頭に入ってたんじゃねぇのか??」

「あんなミス、後からどうにだって訂正できたんだ!!なりふり構わずマグナムぶっ放そうとするテメェの方がどうかしてる!!

「その俺のマグナム取り上げたおかげで余計大変な目に遭ったの覚えてねぇのか!?

「取り上げなきゃお前、警官の一人や二人殺ってただろうが!!

「は!?あれは脅そうと思っただけだ!!誰があんな下種共殺んなきゃなんねぇんだ!!あんなの殺るぐらいだったらな、ゴキブリでも標的にしてた方がまだマシだ!!

「…それは言えてる」

急にストンと腑に落ちた。あ、そういうことだったのかと。何に納得できたのかはわからないけれど、今まで納得のいかなかった全てが解消された。理解するって、こういうことなのだ。理屈じゃない。なんだか一個成長したみたいだ。そうなると、七見が吠え立てる声も急にかわいいものに思えてきた。

「大体てめぇは考えることが無謀かつ非現実的すぎるんだ。予告状だ変装だって、一体どこの漫画の中から出てきたんだよ。」

「だって、ただ盗むだけじゃ面白くないじゃん。」

気づくといつの間にか六本木まで走ってきていた。周りを歩く人たちは渋谷よりもほんの少し平均年齢が高くなり、最近できたばかりの六本木ヒルズ森タワーには金持ちそうなおネェさんやおニィさんが出たり入ったりしている。ちょうど会社が終わる時間なのか、夕暮れの中をサラリーマンがいそいそと駅へ向かっていくけれど、その表情は暗くてあまり見えない。後ろをついてくる警官もいなくなったことだし、もう走らなくてもいいだろう。優雅な街では優雅に歩かなくちゃ。

「どうせ同じやるならさ、小難しくてスリルがあった方が、なんか得した気分にならない?」

「……」

七見の反応がない。せっかく気分よく答えたのに今度はシカトか?むっとしながら振り向くと、全然違った。きょとんとした顔で、奴は東京のど真ん中に立ち尽くしてオレを見つめていた。

「…どしたの?」

小首をかしげて聞いてみると、やっと七見は首を振りながら動き出した。隣に追いついてなんだか楽しげに笑い出す。頭でもおかしくなったのか?

「そういうことか」

一人で納得すると懐からガムを取り出して、器用に口の中に放り込んだ。

「何が?」

隣から手を出したオレにも一つ、クールなミント味。

「なぁ。あっちに最近、いい酒飲ます所ができたんだけどつき合わねぇ?」

言うなり、七見は突然向きを変えて麻布十番方面に向かって歩き出した。オレの質問はどこへ行ったんだ。

「は?オレ金持ってないよ」

「今日は奢ってやる!!

一体なんなんだ?さっきまでプリプリ怒ってると思ったら、今はもう楽しそうな笑みを浮かべて酒の事しか頭になさそうだ。人から見ればオレは相当な変わりモンだと言われるけれど、オレの理解の範囲すら超えてる七見はその上を行っていると思う。

でもまぁ、奢ってやるってのに断る謂れもないしな。

なんだかわからないけど、楽しそうな七見を見てるとこっちまで楽しくなってきた。これからもこんな毎日が続けばいいと、その時初めて、オレは本気でそんなことを思ったんだ。

 

 

あの時一株だけ奪ってきたブルーデイジーは、今年も綺麗な花を咲かせていた。割に丁寧に扱ってるからか、最初は寂しげに見えた花もいつの間にかプランター一つでは足りなくなった。このままベランダ中を青い花で埋め尽くせれば、きっと綺麗なんだろうな。

花に水をやって悦に入ってると、やっと起き出した七見が隣から覗いてきた。タオルを首に掛けてるし、頭もちょっと濡れてるから顔を洗ってきたんだとは思うけど、それにしたって酷い顔だ。昨日飲み過ぎたに違いない。

「おぉ、今年もちゃんと咲いてるじゃねぇか」

しゃがみ込んで小さな花を指先でちょいと突いた七見は、まるで古い友達に久しぶりに会ったかのような顔をした。

「ねぇ七見。ブルーデイジーの花言葉って知ってる?」

花を見て昔のことを思い出したからかもしれない。急にそんなことを聞きたくなった。

「…花言葉?知らねぇ」

「忘れちゃったの?その昔、うちのひいじいちゃんがある人に送ったんだ。その道では本当に優秀な人でね、じいちゃんはどうしてもその人と仕事がしたかった。断られても断られてもしつこく誘い続けて、ある日、その人は花が好きだという情報を仕入れたんだ」

「それでこの花を贈ったのか」

ポケットからラッキーストライクを取り出した七見は、ジッポで火をつけるとうまそうに朝の一服を吸い込んだ。高層マンションの最上階で吸う煙草は、さぞかしうまかろう。よっぽど一本貰おうかと思ったくらいだ。

「そう。鉢植えいっぱいに咲いたこの花を貰ったその人は、感動して一生じいちゃんを影から支えてたって話だよ。」

「あぁ、そういえば昔聞いたな。お前のひいじいちゃんが贈ったブルーデイジーの末裔が、この花なんだろ?」

「そうそう。で、頑固者まで懐柔させちゃう奇跡の花の花言葉ってのが…」

「『美は常に新しい』」

「なんだ、覚えてんじゃん」

「思い出したんだよ」

言って七見は笑った。吸ってた煙草は噛んじゃってるけど、あの時と同じ楽しそうな笑顔だった。

「ねぇ、七…」

「ご飯できたよ!!

言い出しかけた言葉を遮って、おもむろに台所の方から声がした。そうだ、今日からここに暮らすのは二人だけじゃなかったんだ。

「おう、今行く!!

答えてから七見が振り返った。

「なんか言ったか?」

「いいや。朝飯なんだろなってよ」

雰囲気に流されて思わず口走りそうになった一言を、オレは飲み込んだ。遮ってくれてよかった。相棒同士はお互いの気持ちを、口に出さなくともわかってやるもんだ、というのも信条だ。

そんな気も知らずにしばらく朝ごはんの匂いをかいでいた七見は、名探偵さながら断言した。

「ベーコンエッグだ」

嬉しそうに台所へ歩いていく姿はあの頃には想像がつかなかっただろう。そう思ったらなんだか可笑しくなった。

今日は三人での初仕事。あれから結構仕事をするようになってアジトは各地に広まったけど、再出発が偶然にもこの地になったのは縁起がいいかもしれない。白と黒を基調にした部屋はいつの間にか自分のものも七見のものも結構増えて、簡素でもシックでもなくなっていた。きっとこれからはもう一人分増える。もっとごちゃごちゃになるかもしれない。

それに。

朝飯では間違いなく「ベーコンエッグについての議論」が展開されることだろう。

「はぁ?何その食べ方!?卵焼きには醤油オンリーでしょ?」

「うるせぇな。マヨと醤油の絶妙なハーモニーをお前なんざにわかって堪るか」

「何それ!?訳わかんないんだけど!!

「朝からそんなキンキン声で怒鳴るなよ。頭に響く」

ほら聞こえてきた。

ベランダのブルーデイジーに感謝を込めて投げキスを一つすると、持っていたジョウロをしまって台所に向かう。

 

今日も一日、楽しく仕事ができそうだ。




―完―
2008/07/21
MOSCO

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