プロローグ
例えば、ルパンを騙してお宝を頂いて来た帰りに、たまたま公園を散歩している母子を見かけた時。
例えば、最近莫大な遺産を相続したというどこかの御曹司をたぶらかしている最中に、道の向こうから歩いてくる幸せそうなカップルとすれ違った時。
例えば、自分が持ち込んだ儲け話を実行中、思わぬ誤算で死を覚悟した直後に、必ず差し伸べられる大きな手を掴んだ時。
そんな時、不二子はたまに溜まらなく自分が小さくなってしまう気がしていた。何でこんなに意地を張っているのだろうと。何の為に私はこんなことをやり続けているのだろうと。
だがしかし、同時に彼女は嫌というほど再確認もしていた。こうまでしないとあの男は自分を見続けないだろう。綺麗なだけの女なら世界中に五万といる。不二子はその磨き上げられた宝石の中のたった一粒に過ぎない。にもかかわらず彼が自分を選び続けているのは、彼を愛しながら裏切り続けることができるのが、この世に彼女しかいないからだ。一瞬でも気を抜けばスルリとすり抜けていってしまうだろう。その時差し伸べられる手は、きっと同情以外の何物でもない。また、それを掴んで満足していられるほど、不二子もプライドの低い女ではなかった。
だから、もうどうしようもなくなって一生に一度の賭に出ると決めた時は、出会ってから何年もかけて築いてきた物を利用するほか、彼女に方法は見つからなかったのだ。他に、選択の余地はなかったのだ。
世界一バカな女は、もしかしたら自分かもしれないと思いながら。
「次の獲物はペンダントだ。」
『降りる。』
ずっと篭っていた自分の部屋から出てくるなり宣言したルパンに、二人の相棒は声を揃えた。
あまりのハモリように、その大きなどんぐり眼がさらに見開かれる。
「なあんでよ?俺、まだ何にも話してないんだけども?」
「話さなくてもわかる。どうせまた不二子への貢ぎモンだろう。」
アイマスク代わりにしていた帽子のつばをチョイと上げて、隙間からギラついた視線を覗かせた次元が言った。ソファに寝そべった格好こそは隙だらけに見えるものの、見る者が見れば怖気付くことは間違いない。下手なことをした次の瞬間にはもうこの世にはいないと、その目は本気で怒っていたのだ。
「何だよ次元。そんなに怒るなよう。」
知ってか知らずか、終始飄々としているルパンは口を尖らせた。
「今回の獲物は不二子抜きだからさぁ?」
「信用できぬ。」
無視を決め込むつもりでいたガンマンの代わりに、窓際での瞑想を邪魔されたサムライの言葉が宙を舞う。
「お主はそうやっていつも結局あの女に持って行かれているのではないか。」
「わかってないねぇ!!」
まるでミュージカルの舞台に立っているかのようなオーバーアクションで、ルパンは五ェ門に哀れみの目を向けた。正直な五ェ門は素直に戸惑いの表情を浮かべる。自分は、わかっていないのか…?
「それが不二子の俺に対する愛情なんでないの!!なぁんでわかんないかねぇ?」
「フンッ。一生やってろ。つき合いきれねぇ。」
そんな彼に救いの手を伸ばすかのように、次元の声が今一度ルパンを刺す。ガンマンは、すでに玄関へと移動しようとしていた。
「ままま待ってよ、次元ちゃ〜ん!!」
「降りる。」
「そんなこと言わずにさ〜。」
「降りる!!」
「ルパン。」
自分が間違っていないと確信した五ェ門も、次元の隣に並んだ。
「女への貢ぎ物くらい、一人で稼いだらどうだ。」
「だからチガッ……。」
目の前で閉まった扉に、ルパンの顔面が見事にヒットした。彼の頭に星が飛んだのは、言うまでもない。
「ハァイ…どうしたの、ルパン?」
不二子が扉を開けた時、ルパンは目の前で立ったまま気絶していた。
「い、いひゃ…りえんろおえおんあうあひひ…。」
「何言ってるの?」
言いながらも彼女は横をすり抜けて中へと入っていった。しばらくうろうろした後にリビングでティッシュケースを見つけると、それを丸ごとルパンに向けて放り投げる。
「そこまで間抜けな顔したルパンなんて、嫌いよ。」
「あんがとさん…。」
ルパンが鼻から流れ出る血と格闘している間、不二子は先ほど男三人が盛大な喧嘩を繰り広げていた元である次回の獲物に関する資料を、早くも見つけ出していた。
「あ〜らら、もう見つかっちゃったの。」
おどけた様子で近づいて来たルパンに、笑顔を返す。これは、男に媚びる為の笑顔。
「素敵なペンダントね。」
不二子の手の中にある一枚の写真。そこには、マルチーズクロスをモチーフにした煌びやかなペンダントが写されていた。ホワイトカルセドニーで模られた十字架の中央に、ゴールドで細かい装飾がなされている。中央にはめ込まれた6つの宝石は、勿忘草をイメージしているのだろう。ダイヤ、ルビー、エメラルド、ガーネット、アメジストといったものが、品よく並べられていた。
「わかってくれる〜?やーっぱり不二子だけだよなぁ、物の価値がわかるのは。全くもってあいつらには芸術ってモンがわかっちゃいねぇんだから。」
ルパンに促されるままソファへと身を沈めた不二子は、片手が彼女の肩へと伸びていくのもそのままに写真を返す。
「ねぇ、ルパン。」
なるべく、平静を装って。
「なんだい、不二子?」
獲物を褒められていい気分になっているルパンが、写真をしまいながら陽気に答えた。
「私たち、心から愛し合ってる仲よね?」
不二子の手が、そっとルパンの膝に置かれる。普通の男ならまずここでノックダウンだろうが、流石にルパンには通用しない。鼻の下をこれでもかというほど伸ばしきってはいたが、本気かどうかは疑わしいものだった。が。
「そうだねぇ〜。俺とお前の仲は永遠さ☆。手に入れた暁には、必ず不二子ちゃんにプレゼントしてあげるからね〜。ん〜。」
「もうっ!!まじめに聞いてよ!!」
ひょっとこのように口を突き出すルパンに、流石に怒った素振りを見せる。今回ばかりは、男のペースに飲まれて失敗するわけにはいかなかった。
「貴方に頼みたいことがあるの。」
その言葉に、一瞬だけルパンの気配が止まる。
お宝のことでなければ何だというのだと、神のような頭脳で、不二子の頭の中を瞬時に見透かそうとしていた。暗のうちに、瞳の中で囁かれる声にはならない言葉。
『お前は何を企んでいる?』
快楽。
という言葉がよく似合った。この瞬間の不二子の脳内には、明らかにアドレナリンが大量に分泌されている。他の者では味わえない、つかの間というにも短すぎる、極上の、快楽。
あなたはどうすれば私に平伏してくれる?
「なんだい?」
さっきまでのおちゃらけた雰囲気を再びどこかに漂わせつつ、ルパンが片眉を持ち上げた。
それに対して不二子は十分な溜めを作ってからゆっくりと答える。いかにも、何か企んでいますという顔をして。
「…私、赤ちゃんが欲しいわ。」
「……。」
流石に彼女の肩に乗っかっていた腕が凍った。天下のルパン三世も、この展開は予想していなかったようだ。
さて。
吉と出るか凶と出るか。
サイは投げられた。
ところが、だ。
「このペンダント。どんな意味があるか知ってっか?」
一度は胸ポケットにしまった写真を取り出し、唐突にルパンはそんなことを聞いてきたのだ。
「なあに?」
非難と疑問と気が抜けたのを、素直に不二子が声に表す。はぐらかされた。ここまで来て、自分は負けたのかもしれない。
「『大切な人よ、私を忘れないで。』」
「……。」
「勿忘草の花言葉は『私を忘れないで』の意味。中央に飾ってある、このルビー、エメラルド、ガーネット、アメジスト、またルビー、そしてダイヤモンド。これらの頭文字を繋げると『REGARD』だ。」
「『大切』…。」
ルパンは何が言いたい?二人の別れに、花言葉の語源となっているドイツの悲恋伝説でも持ち出そうというのか。肩に回された腕が、やけに重く感じられてきた。彼女の中で、敗北の色はさらに濃くなる。
「全く、19世紀の金持ちは粋なことをやらかすもんだ。宝石で隠し文とはね。これを集めねぇ手はないだろう。」
さて不二子、とルパンは言った。語りかけている相手とは反比例するかのように、目にはもうさっきの動揺は見られない。顔には挑戦的な笑みさえ浮かんでいた。どうやら腹が決まったらしい。
「お前、今度は何企んでんだ?」
二度目の疑問は声に出して発せられ、そこで不二子は希望を見出した。別れを切り出されるわけではないらしい。
ルパンがこうして声に出す時は二つある。一つは、もうすでに事の核心を掴んだ時。この場合、彼は不二子の企みを見破ったことになる。そうであれば、ゲームセット。自分に向けられる哀れみの目を、見つめてはいられないだろう。もう一つは、わからないがとりあえずこの企みに乗ってやろうと決心した時。その時は、当然だがゲームはまだ決まっていない。
「全く失礼ね。私は、単純にあなたとの赤ちゃんが欲しいだけなのよ…。」
嘘とも本気ともつかない甘えた声で、さらに体を摺り寄せる。
「ほんとかぁ?」
「本当よ。」
ダメ押しのキス。この男を騙す快楽に、最も近く、そして最も遠いキス。
「じゃあ、お前にこいつは必要ねぇってこった。」
ルパンが、腕を回した肩越しに写真を破く音が聞こえた。
「あら。」
この一言で、勝利を確信した不二子に女神の微笑が降りてくる。
「誰もそんなことは言ってないじゃない。」
するりと手を伸ばした派手なジャケットの内側に、目的のものを見つけてさらに笑みを深くした。
「『真実の愛』、私にちょうだい?」
引き出されたその左手には、錠前の形をしたゴールドペンダントが一つ。土台が丸々ゴールドで出来ている為、ホワイトカルセドニーを使用した先ほどのペンダントに比べると幾分重量感が増して見えるのだが、その分豪勢な装飾はやはり美しいものだった。コレクションのうちなのだろう。こちらはさきほどと同じルビー、エメラルド、ガーネット、アメジスト、ダイヤモンドに加え、真珠とトルコ石までついている。この二種類で出来た勿忘草のモチーフが、中央で一際輝いていた。
「ダイヤ、エメラルド、アメジスト、ルビー、エメラルド、サファイア、トルコ石…。『最愛の人に捕らえられた真実の愛』ってとこかしら?」
ペンダントに軽くキスをしながら不二子は言う。これを作った人間の、150年も昔の愛を、密かに密かに想いながら。
「全く、お前にゃ敵わねぇよなあ。」
心底嬉しそうな顔をして、とうとうルパンが両手を挙げた。
「勿忘草の花言葉は二つある。よって二つのペンダントの意味は二種類取れる。『大切な人よ、私を忘れないで』と『真実の愛を貴方に捧げる』。不二子に贈るには、後者しかねぇよなあ。」
力強く引き寄せられたその腕を、今日は振りほどかなくてもいいだろう。
少なくとも、今だけは…。
GAME SET WINNER FUJIKO・・・・・・?