ある「エピローグ」
外に出ると、宵の空が少しずつ白み始めていた。全てを見ていた星々が、まるで悪夢を忘れ去る正しい手順のように消えてゆく。
ルパンと次元は、瓦礫の山の上で煙草をふかしていた。
ルパンはポケットに手を突っ込んで立っていたし、次元はそこらのチンピラみたいな座り方をして、二人ともせっかくのスーツ姿を台無しにしている。
どこを見ているのか、私には背を向けているので全く分からなかったけれど、二人がおそらく同じ思いでいるのだろうことだけはなんとなくわかった。
見渡す限り、まるで子供がおもちゃを踏んづけて通った後みたいに、瓦礫の敷き詰められた大地。お宝はもちろんのこと、彼らの注目すべきものなどもう何もないだろう、廃れた世界。
これらを熱心に見入っている二人を、二人のいる風景を後ろから見つめて、私はなんだかふつふつと小さな殺意が湧いてくるのを感じずにはいられなかった。
なんで。
なんでこの人たちは、こんなに他人事のように佇んでいられるのだろう。
その気配に気づいたのだろうか。ルパンと次元は、示し合わせてもいないのに見事同じタイミングで振り返った。
「よう、オジョウさん。お目覚めかい」
ゆっくりと、相変わらずニヒルな笑みを浮かべながら次元が言って、持っていた吸いさしを放った。その右手には包帯が巻かれている。つい昨日、私を庇って負傷した右手。ほんの少しピンク色に染まっているように見えるのは、うっすらと血が滲んでいるからだ。
「まだ夜明け前だ。もうちょっと眠っていてもよかったんだぜ?」
ルパンも最後の一服を大きく吸い込むと、残りを水たまりの中へ放ってこちらへ降りてきた。相変わらず、リズミカルにトントンと地面を跳ねる姿は猿回しのサルのように滑稽だったが、彼もまた頭に包帯を巻いている。こちらは完全に血が止まっているようなので少し安心した。次元の怪我と一緒に手当てをしたのは私だけれど、なぜそんな怪我をしたのかはわからない。乱闘中、誰かに大事なスーツの裾を引っ張られてこけたんだと笑っていた話は、本当だろうか?
頭の包帯を見つめていたら、ルパンが気づいて「大丈夫だよ」という表情をする。それで余計にバツが悪くなってしまった。こんな気遣いをする人間に、私は小さいとはいえ明らかな殺意を抱いているのだ。
「なんだか朝日を拝みたい気分になったのよ」
複雑な思いを隠すよう、問いに対してわざと素気無く答えて、ルパンの前に立つ。まっすぐにその眼を見据えてみて、初めて私は気が付いてしまった。この男は、もしかしたら私に言わせたがっているのではないか。
「ルパン」
本当に、ずるい男だ。
「ん?」
小さく首をかしげて微笑みを向けてきたルパン。その首に手をかけてしまいたくなる衝動を抑えて、私は続けた。
「……もう行ってしまうのね」
平静を装ったつもりだった。完璧に発音したつもりだった。それでも、風になびくほどの声しか出ない。
こんなはずじゃなかったのに。
私だって、ルパンにとってのこの国が最終地点になるなんて、これっぽちも思ったことはない。いつかはいなくなってしまうだろうことも知っていたし、だからこその「他人事」だということも知っている。
でも、知っているだけだ。
私は突然、虚勢でしのいでいた不安が抑えきれなくなってしまったのだ。
たった今の今まで、心から信じて陶酔しきって寄りかかっていた対象が、急に消えてしまうことを恐れていた。
今じゃなくたっていいじゃないか。
崩れゆく世界の中で、唯一手を差し伸べてくれた人なしで、この先どうやって生きればいい?
ルパンは、困った顔をしてこめかみ辺りを掻いていた。
当たり前だ。
私にとって救いでも、彼にとってここは数ある国々の中のただの一つ。私は、彼が出会ってきた数々の女たちの中の一人。悲惨さはにじみ出ているかもしれないが、それ以外に突出している部分は何もない。泣かれたって困るだろう。
私は、吐き出しそうになる何かを必死に堪えて立ち尽くす。
結局、それだけで精いっぱいだった。
「大丈夫だよ」
困った顔をやめたルパンは、私を見て何かに気付いたのかもしれない。見透かしたように笑顔で言った。
「君は世界一信用ならない「泥棒」を信じた女の子だ。信じて、この場を見事生き抜いてみせただろう?」
やけに自信満々の表情である。
確かに、私はあの時ルパンを信じることに決めた。そして、その時の判断は結局のところうまい方向に転がって、この壊滅的な状況の中で、命一つ、たった一つ、守り抜くことができた。もし、ルパンについていかなければ、私の人生は昨日で終わっていたかもしれない。それは事実だ。
「私の信じた道は、間違いじゃなかった?」
うんと一言、言ってほしかった。それだけ言ってもらえたら自信が持てたのに。
「さぁ? それはどうかな?」
そうは問屋が卸さない。
笑みをさらに深くして、ルパンはいたずら小僧のような目で私を見る。
「決めるのは君にしかできない仕事だ」
信じすぎると火傷すんぜ〜、とルパンはおどけて私に迫ってきた。ちょっと真面目なことを言ってみたと思ったらすぐにこれだ。こちらが真剣に答えを出す間を与えないのだ。本当にずるい男。凧のように口を突き出してくる姿に向かって、いろいろな恨みを込めて思いっきり平手をお見舞いしてやろう。そう決意を込めて右手をあげたその時。
「おいルパン、五ェ門だ!」
瓦礫の上で私の後方を見ていた次元が声を上げた。思わずその視線に合わせて振り向いてみれば、遠くの方から何かエンジン音が響いてくる。目を凝らすと砂埃らしきものも。恐らく、五ェ門が何かに乗ってやって来たのだ。
「迎えが来ちまったようだな」
ルパンが静かに、中途半端に上げたままだった私の右手を取る。
「俺はそろそろ行くぜ」
「……」
またそうやって手のひらを返したように優しい声を出す。さっきまで呆れ返っていたのに、また急に泣きたい気分になる。私の感情の全てがこの男の声音によって左右されているようで、それも腹が立つ。こんな感情、持っている暇などないのに。
「じゃあな」
まるで仕事に向かう父親が娘にする挨拶のように額にキスを落とすと、ルパンは五ェ門のいる方向へ向かって颯爽と走り出した。
「ばっかじゃないの…」
それしか言えない。それ以上は見せてはいけない。それ以上は、ルパンのシナリオの中には含まれていない。「行かないで」は決して言ってはいけない言葉。そして、涙は見せてはいけないもの。私に今課せられた役は、ルパンの背中を見送ることを要求しているのだ。
「俺たちは、崩れていく瓦礫の中でしか生きられねぇのさ」
後ろから歩いてきた次元が、私の横で立ち止まる。
「え?」
「お前さんは、瓦礫を退かして新しいものを作れるだろう?」
大丈夫だよ、なんてルパンと同じセリフを残し、大きな手のひらで私の頭を叩くと、次元もルパンの後を追って走り去ってしまった。
大丈夫? 何が?
でも、それを聞こうとした時にはもう、赤い背中も黒い背中も遥か彼方に去ってしまっている。
一体なんなんだ。結局、私はあの人たちの三文芝居にずっと付き合わされていただけのような気分だ。
やり場のない怒りをどこにぶつけたらいいかわからずに、私は立ち尽くすことしかできなかった。
「ふざけんなあっ!」
それは、しばらくしてからやっとの思いで吐き出した悪態だった。
三人が地平線の向こうへ消える頃、入れ替わるように、後ろから暖かな日差しが私の背中を照らし出した。
ルパンは、自分たちが去った後に回答を求める。
そして、私は決心する。どうせ、答えは最初から持っていたのだ。
自分が向かう方向は、こっちだ。
2011/05/07
Written By MOSCO
TOP