少年ルパン
●4月14日 曇り時々雨のち晴れ
今日は隣町の美術館を2件襲って、銀行を襲って、刺客を16人消してからこのアジトに辿り着いた。
流石の俺様も少しへばり気味だが、明日は移動してからさらにハードな一日になるらしい。逃げ出せるもんなら逃げ出したいっての。
ったく、こんなことして何になるってんだ。俺にゃ必要ねぇ。
やっぱりここの仕組みは歯車が狂ってる。あいつと一緒なら、今すぐにでもコトを起こしてやるのに。
ある日たまたま見つけ出した親父のアジトで、オレは一枚の紙切れを見つけた。それは物理学の専門書に挟んであった代物で、ノートの切れ端を使ってオランダ語で走り書きされていた。もう紙自体はすっかり黄ばんでいて、文字の書いてある黒かったんだろうインクの色も、そろそろ色褪せた紫を通り越して薄い灰色になりそうだった。オレはその時、本の内容に合わせてフランス語で物を考えていたから、落書きだと思って危うく捨てそうになるところだった。
見つけたのは本当に偶然。15歳にして大学を卒業し(こういう奴はあんまりいないらしい)、暇になったオレは「全世界津々浦々アジト巡りツアー」なんていう大層な暇潰しを敢行していた。親父のアジトをわかる限り全て回るという、至ってシンプルかつデンジャラスな冒険旅行だ。何せあのルパン三世が作った代物だから、何が仕掛けてあるかなんてわかったもんじゃない。ま、その分血が騒ぐってのもあるけど。
日本国、福島県のとある山奥。ここのアジトには大したトラップもお宝も埋まっていなかったから(本当に休暇を過ごす為だけに作られたものらしい)、二泊ぐらいして出発するつもりでいた。
二日目のこの日は、午前中までに屋内も探索し尽くして何もやることがなかった。もしもその暇な時間を読書(しかもよりによって物理だ)に費やそうだなんて考えなければ、きっと紙切れは一生日の目を見ることはなかったんじゃないかと思う。挟む所が地味すぎるんだ。
でも一体、誰が何のために?
一度考え出したら止まらなくなって、オレは物理の一人授業を諦めた。謎解きの方が数百倍楽しい。
キッチンから砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーを入れてきて、準備万端整えると書斎の安楽椅子にそれらしく腰掛けてみる。気分はまるで名探偵ホームズだ。生憎彼は宿敵だけど、この際関係ない。オレは結構好きなんだ。「ワトソン君、君はどう思う?」なんてね。
さて、本題に戻ろう。紙切れだ。
4月14日という日付と内容から察するに、これが日記だということはだいたいわかる。いくら古いとは言ってもオレの爺さんだとか曾祖父さんが書いた代物ではなさそうだ。とするとやっぱり、親父がその昔に気まぐれを起こして書いた物に違いないのだが、あの親父が何でそんなことをするのかが全くわからない。…いや、親父の行動なんていつも全くわからないに等しいが(現に今だってどこにいるのか、地球にいるのか宇宙にいるのかさえ謎だ)、それにしたって意味のない行動を極端に起こさない性格上、日記をつけるという行為自体が意味不明だ。なんせIQが300もあるんだから、わざわざ書かなくたって大概の事は頭の中に刻み込まれる筈だ。
じゃあ逆に、このへんてこな日記に何か意味があるとしたら…。普通に考えて、日記は大概がノートのような形で見つかるのに、こいつは何故か破れた切れ端で出てきた。オレの直感が合っているとすれば、これはある種のメッセージだ。
その仮説をとりあえずの土台にして、まずはいくつかの可能性を考えてみる。一番可能性が高いのは、これが何かを記した暗号だということ。親父か、それとも他の第三者が、このアジトに入る誰かの為に残したメッセージだ。例えば、不二子が親父へ送ったSOSだとか…。炙るか水に漬けるかどうにかすると、地図や文章が出てくるのかもしれない。しかしそれにしては文章が殺伐とし過ぎているような気もする。不二子なら、もっとラブレターめかした文体で送ってくるに違いないし、不二子でなくたってもう少し愛想のいい手紙を残すだろう。いくら何でもこんな文章じゃ怪しすぎる。「隠し文です」って言っているようなもんじゃないか。敵に見つかれば一発でオジャンだ。
念の為、試しにオレは持っていたジッポで紙を軽く炙ってみた(煙草を吸わなくてもこういう時に便利なのだ)。でも炙り出しで出てくるような文字は一向に出てこず、じゃあと思って軽く水で湿らせてみても結果は同じだった。他の、思い付く限りのどんな薬品や方法、数列や言葉遊びでも駄目。どうやら化学的な反応や、ありきたりななぞなぞでは回答は得られないらしい。こうなるともう意地でも謎を解きたくなってくるのが性というものなのだろうか。悔しくなったオレは夕飯を食べるのもすっかり忘れて作業に没頭してしまった。
そうこうしているうちに、いつの間にか夜は明けてまた日は暮れて、気づくと一週間が経過していた。全く情けないことに、我に返ったのは自分の頭がフラフラになって危うく餓死というところまで来てからだった。仙ちゃん(親父の相棒、石川五ェ門をオレは小さい頃からこう呼んでいる。何故なら仙人ぽいから)じゃあるまいし、一週間飲まず食わずじゃ流石に耐えられない。
頭を冷やしつつストックしてあった食料品を端から食べ尽くすと、やっとこれ以上ここにいても無駄な気がしてきた。ヒントは他にある。
そう考えるともう次の行動は早かった。目的地は既に決めてあったから、少ない荷物に紙切れ一枚を加えて出て行くのみ。日本を離れて一路イタリアを目指すのだ。何だか無性にイタリアンが食べたくなってきた。ミラノでおいしいピザでも食べて気分転換にしよう。少し時間を置いて考えた方がいい。
ところが。
ピザを探すどころか、着いて早々オレは見つけてしまったのである。次のメッセージを…。
●4月23日 晴れ
ミラノは好みの美術館が多い。片っ端から盗んでやっていたら、地元のマフィアに目を付けられちまった。他にも怪しい奴らはうようよいるが、俺様を狙うだなんていい度胸だぜ。よかろう。まとめて相手になってやる。
今度の日記は中国語で書かれていた。しかも北京語。中国語の中でも最もポピュラーな部類に入る言語だ。しかし親父は何故こうして使う言語がバラバラなのだろう。日本でオランダ語。イタリアで中国語。ひょっとして、これも何かのヒントなのだろうか…?
ここのアジトも結構古い方で、中は塵と埃と蜘蛛の巣の天国だった。もう長いこと使っていないんだろう。無人の家特有の、冷たい黴臭さが染み着いている。ゴキブリすら、敬遠しているようだ。屋敷の中だけ、全ての時が止まっていた。
そんな中で日記が見つかったのは、なんとキッチンに置かれていた新品のやかんの中だった(新品とはいっても、ラベルが剥がれていないから一回も使っていないと分かっただけのことで、錆具合はもう年季の入ったものだったが…)。物理学の専門書の中だなんてまどろっこしい所ではないだけましだったかもしれないが、今度は英国製のやかんの蓋の裏にセロテープでかっちり貼り付けてあった。お湯を沸かそうとしなければ到底気づかない。これには流石のオレも少しびっくりしてしまった。全世界に数百ある親父のアジト、まさか二箇所連続で奇妙な日記に巡り合うとは思ってもみなかったのだ。
しかしこれで、日記が各アジトに散らばっているのだという事が判明した。14日の次が23日だということは、その間の15〜22日の分も(あるいはその他の日にちのものも)必ずどこかにあるはずだ。やっぱりあれ一枚きりではなかったのだ。日記は繋がっている。それにこれは推測にすぎないけど、きっと次の日記の置き場所にだって何か法則があるに違いない。本の中にやかんの中。どう考えても不自然すぎる。
もう一日。
もう一日分の日記があれば謎は解ける気がする。
段々アドレナリンが上昇してきた。こうなるともう、いても立ってもいられなくなる性格だ。日記のありそう
な次のアジトをロンドンに絞り込むと、その日のうちにオレの体は空港を飛び立っていった。
●4月15日 晴れのち曇り
何を見てばれたのか、組の奴らが遥々追いかけてきやがった。しかし何があっても指令をこなさなくてはならない俺に、奴らの相手をしてやっている暇はねぇ。かと言ってほっとけるような敵でもねぇし。何とか両方切り抜けたが、今回ばかりはこれまでかと思ったぜ。こんな時、あいつがいてくれたら…。
ロンドンの小奇麗なアパートメントの一室(ここは結構頻繁に使われていたのか、はたまた専用の管理人でもいるのか、比較的清潔に保たれていた)。バスルームに置いてあったドイツ製のシャンプーに、日本語で書かれた日記はそれだけ色あせて括り付けてあった。ご丁寧にも防水加工を施してあったが、日本やイタリアの古ぼけたアジトには良く似合っていた紙質も、この場所ではそれだけが妙に浮いている。ここまで来ると、謎を通り越してただのバカなんじゃないかとか、もしかしたら俺はどこかで監視されていて、ただ親父に遊ばれているだけなんじゃないかとか、いろいろ思わなくもないのだが、ここは一つ今までの自分を信じて日記を追い続けてみることにする。
それにしても、ロンドンにドイツ製のシャンプーとは珍しい。親父はイギリスにドイツ人のオンナでもいたのだろうか?少なくとも不二子の趣味じゃない。…ま、そんなことはどうでもいいけど。
さて、日記三通目にして一つの流れができた。
4月14日から15日。
この二日間が繋がった。たったの三枚で連番ができるというのは結構奇跡に近いだろう。このとき初めてオレは両親譲りの運の良さに感謝した気がする。これで何かの法則が出てくるはずだ。
物理学の本に挟まっていたオランダ語の日記と、バスルームのシャンプーに括り付けてあった日本語の日記。それからちょっと離れて、新品のやかんに貼り付けてあった中国語の日記…。
一体どんな関係が結ばれるのだろう。
表にしたり文字にしたり数式を作ってみたり、色々な方法を試しているうちに、オレは突然一つの仮説に辿り着いた。閃きというのは振って沸いてくるもんだと誰かが言っていたが、まさにその通りだった。この方法で行けば、必ず残りの日記を順番に手繰り寄せることができる。なんだか背筋がゾクゾクしてきた。あまりにも的確な回答に、体中が喜んでいる。
またもやいても立ってもいられなくなって、オレはすぐさま続きの日記があるだろう次の土地に旅立った。
常に思うことだけど、自分の都合だけで動けるのが一人旅のいいところだ。うちの親父はいつも不二子に振り回されていろんなチャンスをギリギリまで見つけられない。どんな試練を潜ったってあんな大人にだけはなりたくないと思う。まあ、一人だと思いついた名案を誰かにすぐ話せないのが少し癪だけど。
今は何より目の前の謎を解き明かしたい気持ちが先に立っている。
そうして。
オレは4月1日から24日までの計24枚を集めることに成功したのだ。最初の一枚を見つけた時には考えもしなった、とんでもない衝撃と一緒に。
日記自体の秘密は、解いてみればなんてことはない。語呂合わせでも数式でもなんでもなかった。親父はただ単に、前の日までいた土地の言語で日記を綴っていたに過ぎないのだ。例えば、13日の日記はアムステルダムの近くにある花市場の地下アジトにあり、オランダ語で書かれた14日の日記は福島の山奥にあった。日本語で書かれた15日の日記はロンドンのアパートに、16日の日記はもちろんイギリス英語で書いてあった。ったく、ややこしい事が好きな親父だ。目晦ましのためかもしれないが、素直にその日の言語で書いてしまえばいいものを。お陰でこっちはある程度楽に探せたけど。
しかし、もちろんこんなことだけじゃオレはこんなに早く日記を集めることはできなかっただろう。いくら言語である程度の地域は絞れるようになるとはいっても、同じ言語を操る国は、種類によっては国さえ跨いでしまうのだ。その中に埋まっているアジトは数え切れない。もう一つ、他に確実なヒントがあったのだ。次の日の日記の在り処を正確に表すヒントが。
それは日記の置き場所だった。物理の本にやかんにシャンプー。このあまりに無関係に思える道具たちは、しかしやっぱり無関係。木の葉は森に隠せ、じゃないけれど、普通こんなものに日記が貼り付けてあれば、物自体の性質、名前なんかを何とかヒントにならないものかと考える。それが一体どこで作られたかがヒントだなんて、まずは考えないだろう。それが狙いだったのだ。
場所はズバリ、製造元に記されていた。本なら最後のページの「発行所」の欄に、やかんやシャンプーならそのラベルの「製造元」の欄に、必ず住所は書いてある。そこには不自然さどころか、存在感すらほとんどないだろう。そこに親父は目をつけた。製造元が次に行くアジトの住所に近い品をわざわざ選んで、そこに日記をくっつけたんだ。ロンドンにあったドイツ製のシャンプーは、オンナの為に買ったものじゃなかったのかもしれない(あくまで「かも」だけど)。
そんな風に24枚の紙切れを回収してみて、オレはある事実に気がついた。それは、この日記は親父が本気で書いたものだということだ。戯れだとか、暗号だとか、そんなふざけたモンじゃない。ルパン三世がまだオレと同じ年だった頃(日記には「元服」って書いてあったけど、それは確か15歳の時の儀式のはずだ)、他の誰にも漏らせなかった本音を、誰にもばれない様に散り散りに散りばめて残していたのだ。まとまったものが見つかれば、その時点で見張りに殺されていたのかもしれない。それとも、一枚でも見つからないようにして、後で誰かに読ませたかったのか…。例えば、この日記に度々出てくる「あいつ」。雰囲気から察するに、これは仙ちゃんと同じく親父の相棒である次元さんの事を指していると思う。小さい頃、不二子にちらりと聞いたことがあった。幼馴染の二人が今でもあんなに仲がいいのは、一時期全く離れて生きていたことがあったからだと。
ルパン家はその昔、「ルパン帝国」という世界の主立ったどんな大国よりも巨大なシンジケートの王者に君臨していたことがあるらしい。次元さんは、そこで生まれた御曹司に唯一近づける存在だった。修行のために親父が一人で帝国を出されてから、二人は離れ離れになったのだという。
あとはこうも聞いたことがある。巨大組織「ルパン帝国」は、三代目自らの手によって消滅したと。
オレは今まで、そんな話は不二子の作り出した御伽噺に過ぎないと思っていたのだ。だってそうだろう?いくら親父だって、そこまで巨大な組織を一人で潰せる訳がない。しかし、古い日記とその内容、それから全ての筆跡に共通した親父オリジナルのクセは、不二子の話が全くの真実であることを物語っていた。
まさか、本当にあったなんて。
24日の日記が見つかったパリの郊外にある一軒家で、オレは一人途方に暮れていた。30畳もあるリビングいっぱいに並べられた絵画や骨董品に手を付ける余裕もなかった。何てことだろう。ついには体まで震えだしてきた。この感覚は何だろう。この感覚は…。
「恐怖」だ。
とんでもない人間(いや、それ以上かもしれない)を、親に持ってしまったことに対する恐怖。小さい時から自由奔放に、ある程度の護身術で親父の敵を倒したことがあっても自分の「敵」なんて作ったこともない人間が、その子供であっていいのだろうか…?同じ15歳であった時から数々の死線を潜り抜け、幾度となく死ぬような目に遭って、それでもそんな片鱗は全く見せずに今を飄々と生きている「ルパン三世」を父親にしているにしては、あまりに小さすぎやしないか。オレはこれから先、親父の重圧に耐えていけるのだろうか?「ルパン四世」を継ぐかどうかすら決めかねているこのオレが。
だんだん目の前が真っ白になってきて、オレは近くにあったソファに倒れこんだ。前に来た時はとてつもなく座り心地の良かったこのソファも、今は焼いてしまいたいくらい気持ちの悪いものだった。ここにある全ては偉大なる「ルパン三世」が積み上げてきたもの。常にオレは、それらに囲まれ、守られ、息をしている。
自分の力じゃ、何もできない。
世間よりもちょっとばかり頭の回転が速いと、有頂天になっていた自分がバカみたいだった。今まで感じたことはないけれど、これが「敗北感」とか「惨め」とかいうのだと思った。
急に何もする気力がなくなって、オレはその思考すらも停止させてしまった。無意識のうちに、この状態から逃げ出したかったのかもしれない。そのまま昏々と眠り続けて、目が覚めたのは三日後の昼間になってからだった(これは後で見たTVのニュース番組で初めて知ったんだけど)。
●4月24日 曇りのち雨
今日は爺さんがその昔に盗んだものを奪い返してきた。中々強敵のコレクターが相手だったが、何とかなってよかったぜ。
とうとう終わりの日が来る。本当に長かった。干乾びて爺さんになっちまうかと思ったほどだ。
帰ったら、またあいつに会えるだろうか?
目を開けて初めて視界に飛び込んできたのは、この屋敷で見つけた24日分の日記だった。この日の日記は他の分と違い、部屋の壁に貼ってあった世界地図の上から無造作にピンで留めてあるだけだった。世界地図には製造元なんて書いていなかったから、オレはこの日記が旅の最後なんだろうと思っていたんだけど。
ピンの留めてある位置が妙に気になった。
別になんてことのない、普通の世界地図だ。留めてある位置も、なんてことのないだだっ広い海の上。しかし、無造作に留めてあるにしては、留め方が嫌に丁寧な気がした。それに、これだけのアンティークが並べられている部屋の中で、一箇所だけ世界地図が貼ってあるのが何よりも不自然だ。何事にも完璧を望む親父は、インテリアにだって当然気を使う。この部屋に地図が似合わないことはオレにだってわかった。日記を見つけた日は嬉しさとその後のショックで何にも考えなかったけど、きっとここに何かがあるのだ。
三日分の食事も忘れて、オレはピンの留めてあった場所を探しにアジトを出た。完全なる好奇心。絶望に浸るのは、謎をすべて解ききってからにしよう。
そこには小さな島が浮かんでいた。地図に載っていない、GPSにもひっかからない、幻の島。
一見無人島にも見えるこの島は、綺麗な砂浜から続く鬱蒼としたジャングルの中に散々仕掛けられていたトラップの数で、人間の存在感を露にしていた。それらにやられたのだろう。そこかしこに白骨死体がウヨウヨしている。遠くでは種類のわからない生き物の叫び声が常に響いていたし、内部に入る為の唯一の道と思われる獣道の脇では、でっかい虫がじっとオレのことを睨み付けていた。
とても気持ちのいい場所ではなかったが、恐らく間違いない。
ここはかつて「ルパン帝国」があった場所だ。
オレはまるで戦場へ向かう兵士のような気分で、一歩一歩足を踏みしめていった。
一体いくつのトラップを抜けたのかすらわからなくなってきた頃、ようやくジャングルの迷路は終わりを告げた。急に視界が広くなり、湿った木々の代りに広大な草原が姿を現したのだ。その間二日間。毒蜘蛛、毒草、落とし穴は当たり前。今までに見たことのないような仕掛けが、いたるところに仕掛けてあった。そんな中をよく生きて抜けられたものだと、自分でも思ってしまう。いつ白骨の仲間入りを果たしてもおかしくなかった。
近場で綺麗な小川を探し出したオレは、この二日間の汚れを綺麗に洗い流す。とりあえず、さっぱりしたかった。それから改めて周りを見回してみる。何か屋敷でも建ってはいやしないかと。しかし、見えたのは、どこまでも広い野原のみ。ジャングルにはいなかった蝶や小動物なんかが見え隠れしている。昔何かの建物だったのかもしれないコンクリートや木材の欠片は時折転がっていたが、ここは今や全くの自然に還っていた。
もう少し昔の名残でもあるかと思っていたオレは、少し拍子抜けしてしまった。残念なような、安心したような、複雑な気分。15歳の親父は、日記で人をここに導いて何が言いたかったのだろう?「原点はここだ」とでもいいたかったのだろうか?
しかし、疑問に思いながらもしばらく草原歩き回って、オレはとうとう見つけてしまった。
この旅の、本当の締めくくり。4月25日分の日記を。
4/25 I’ll get
freedom!!
そこには、この一言しか書かれてはいなかった。野原の中心辺りに立った、大きなコンクリート壁。約二メートル四方のそれに黒いペンキか何かで殴り書きされていた。まだ崩れる前に書かれたのか、何箇所か欠けているところもある。日記というにはあまりにもお粗末過ぎる、本当に簡略化された文章。しかしどの日のものよりも感情の篭った一言だった。何だか、こっちまで何かをぶつけられているような…。
I’ll get
freedom!!
自由を掴み取ってやる―。
親父はどんな気持ちでこの一言を書いたのだろう。本人に聞いてみたところで本音が帰ってくるとは思わなかったし、知りたいともあまり思わなかったが、恐らくは何かの感情にまかせて書いたのだろう。比較的綺麗な親父の文字が、同じものとは思えないほど震えていた。
I’ll get
freedom!!
帝国に縛られた15歳の少年が、唯一願って止まなかった夢。
しかしこれは日記に見せかけたオレへの宣戦布告かもしれない。
文章を見ていたら、唐突にそんな考えが頭に浮かんだ。将来生まれてくるだろう、自分の子供への宣戦布告だ。
「俺は全てを捨ててでも自由を得る道を選んだ。そんな俺から生まれたお前は、一体どんな道を選ぶ?」
もしかしたら全くの妄想かもしれない。本当に、いつか次元さんに見せようと思って書いたのかもしれない。でもいつのまにか、オレにはこの文章が自分を挑発しているようにしか思えなくなっていた。
さあ、お前はどう生きる?
オレはこれからどう生きる?そんなの、決まってるじゃないか。
オレは近場にあったコンクリートよりも硬そうな石を拾うと、目の前の壁に彫り込んだ。わざわざ親父の字を削って、だ。
親父が帝国から自由を奪い取ったのなら。
オレは親父から本当の自由を盗んでやる。
世界一の大泥棒になってやる。親父をも越す、21世紀最大の大泥棒と言われるような人間になってやる。ここまで見せ付けられて黙っていられるようなオレじゃない。
わざわざ与えられたぬるま湯の中の「自由」を敢えて手放そう。
たった今、オレは「ルパン三世」の栄光に人生を拘束された。ルパン三世を追い越すまでは、オレに本当の自由はないのだろう。パリのアジトで感じたような、挫折と敗北感を背中に背負い込んで、奴を追って生きていく。
いつの間にか、日は暮れようとしていた。夕日が地平線に呑み込まれて行く。オレは沈んでゆく太陽に背を向けて、自分で彫った文字にも背を向けて、来た道とは全く逆の方向に歩き出した。
これから先は、自分で道を作っていく。
4/25 I’ll get true freedom!!
2005/06/26 MOSCO