LOVE GAME





イントロ
 そう遠くはない場所から、足音が聞こえる。一体なんだと目を覚ました次元は、体を起こして周りを見回した。景色に見覚えはない。夜、しかも屋外だ。どこだかわからないが路地裏らしき場所で、自分はどこかの店裏のゴミ溜めに埋もれて寝ていたらしい。遠く突き当りからは、広い通りが見えていた。
「何があったってんだ…?」
 足音がまた近づいてきたのを感じながら、次元は独り言を呟く。ジャケットは忘れてきたのか、黒いシャツ一枚だった。春も終わりかけだというのにここ最近は夜になるとよく冷える。肌を伝う冷気は本物だったので、どうやら夢の中ではないらしいことだけはわかった。
 とりあえずのそりと立ち上がってみたものの、寝起きの頭ではまともな思考は期待できそうにない。とにかく目を覚まそうと胸ポケットにしまってある煙草を取り出しかけた、その時。
「いたぞ!」
 上から突然声が降ってきた。その鋭い声に、思わず手を腰に回して上を見遣った次元は驚いた。なんと制服警官がぞろぞろと、勢いよく建物の非常階段を駆け下りてきていたのだ。
 煙草も銃も抜くことを忘れて、口をあんぐりと開ける。抑えようとした頭上の帽子がないこともその時気付いたが、探す余裕はなかった。警官達の最後尾から一際大きな足音を響かせて出てきたのは案の定、銭形警部その人だったのだ。
「とっつあん!」
 一番会いたくない人物に一番会いたくない時に出会ってしまい、次元は気が動転した。ルパンとは数週間連絡を取っていなかったし、なんで自分がここにいるのかは思い出せないままだったが、とにかくここはこの場から一刻も早く逃げるほかはない。くるりと群集に背を向け、一目散に走り出した。
「あ! こら待てルパン! 追え! 追うんだ!」
 そんな自分に向かって銭形が発した言葉など、まともに受け取っている暇もなかった。辺りを見回しながら、次元はここから一番早く逃げられる道を探す。どうせ、奴らはどこかで二手三手に分かれてルパン本人を探しにかかるのだ(本人が近くにいるのかどうかは知らないが)。自分は適当に細い道を走り回って場をかく乱してさえいればいい。
 が、こんな日に限って、銭形はいつまでたっても次元を追いかけ続けた。流石にいつまでも走り続けていられるほど若くもなければ元気を持て余しているわけでもない。そして目の前には行き止まりを示す高い塀。幸い近くにポリバケツが転がっていたので乗り越えられそうがったが、これでダメなら諦めて大人しく捕まろう。そう思って縁に手を伸ばした瞬間、絶妙のタイミングで上から差し出された手を思わず掴んでしまった。そのまま引っ張り上げられてから手の主を見て、次元は目を丸くする。
「よ~う次元、待たせたなぁ」
 そう言って、月明かりの中いたずら小僧のようにニッと笑ったのは、紛れもないルパン三世だった。

Aメロ
「ルパン! テメェ、今までどこに隠れていやがった!」
 ルパンの姿を確認するなり、次元は掴んでいた手を振り払い怒鳴りつけた。次に振り払った手をそのまま上に持って行き、思いっきり振り下ろした。にやけ顔を崩さないこいつは、何かを隠している。
「イッテ…ッ! 何すんだ次元!」
「それはこっちの台詞だ! お前、俺に何しやがった!」
 さらに胸倉を掴んで問い質そうとした時、サーチライトと共に思わぬ方向から声が飛んできて次元はその答えを知ることとなってしまった。
「あぁ!? なんでルパンが二人いるんだ!?」
 今しがた、次元に追いついて角を曲がってきた銭形だった。ルパンが二人? まさか銭形はボケちまったかと次元は途方に暮れかけた。しかし、そんな銭形を見ても隣のルパンはさして気にした様子もない。それどころか、必死にそ知らぬ顔を貫こうとしている。次元はルパンと銭形を交互に見ながら考えて、ようやく閃いた。まさか。ルパンを逃がさぬよう胸倉を掴んだまま、片手でポケットに入っていたジッポを取り出すと、シルバーのボディを鏡代わりに自分の顔を映してみる。
「…ルパン」
 目の前にいる相手の名前を呼びながら、次元は自分のジッポを捨てた。確かロスの骨董屋で買ったビンテージものだったが、そんなことは気にしていられないほど怒りに震えていた。幸い、遠くからは不二子と五ェ門の乗っているらしきSSKが、夜目に黄色を光らせて向かってきている。大丈夫そうだ。
「…な、なんでしょうか、次元さん」
 苦笑いを浮かべて取り繕おうとするルパンに向かって、次元は力の限り右ストレートを繰り出した。
「俺を勝手にテメェの顔にすんなッ!!!」
「ごめんって次元ちゃーん!!!」
 謝るルパンの体が殴られた勢いで落下し、タイミングよく銭形とは反対の塀下に付いたベンツに吸い込まれる。続いて次元が飛び降りると、やっと銭形は我に返っていつもの台詞を叫ぶのだった。
「あ! 逃がすか! 待て、ルパン~~~~ッ!!」

Bメロ
「見てみろよ、これが世界に唯一無二の装飾銃『メガロポリス』だ。第二次世界大戦中に大手を振っていたといわれる全ての銃器会社の部品を、ご丁寧にチマチマ組み合わせて一丁の銃にしちまったっていう代物だ。黄金で覆われたグリップに彫ってある「メガロポリス」のロゴ装飾以外は、どこの誰が作ったかもわからねぇ、弾を込めて安全かどうかもわからねぇ、しかし見た目の美しさが他のどんな銃よりも勝っているといわれ、マニアの間じゃあオークションに出しゃ1億も下らないという噂もある。間違いなく珍品中の珍品よ。…どうだ次元、すっげぇだろ?」
 観音開きの大層厳重な扉を開け、ルパンは中身を取り出し次元に向けてみせる。その手は嬉々として浮かれ、その目は爛々と輝いている。さっき次元に何を怒られたかなどすっかり忘れていた。
「…そうだな。こいつは俺も前から気になってた代物だ。本物が拝めて嬉しいよ」
 一方、帰ってくるなりバスルームに篭って必死に変装を解いた次元は、機嫌が一向に戻らないまま首からバスタオルを下げてソファに寝そべっていた。嬉しいという言葉とは裏腹に、広げたお宝には見向きもしない。お詫びにと、ルパンがそっと出したナポレオンにさえ、口をつけようとしなかった。
 だからじ~げんちゃん機嫌直してよ~、という弱々しい台詞が、ずっと部屋に響いていた。

Aメロ
 次元がルパンに対してまともに口を開いたのは、次の日の朝のことだった。ルパンが珍しく早起きをして、朝食の支度、部屋の掃除、溜まっていた洗濯物と、全ての家事をせっせとこなして反省の意を表明しているところに、次元は機嫌よくキッチンへ現れたのだ。
「よう、ルパン。朝から精が出るな。よくよく考えたんだけどよ、昨日は俺も大人気なかったと思ってよ」
「次元、謝るなよ。俺こそお前に悪いことしちまったからよ、今日は朝から反省して腕を振るっちゃったりなんかして…って…ん? ……ふじこ?」
 次元は隣に上機嫌の不二子を伴っていた。長年犬猿の仲だったはずの二人が、どうしたら一晩で並んで微笑んでいられるほどになるんだと、ルパンは思わず目を丸くした。
「おはようルパン、朝食作りご苦労様」
「オハヨ不二子ちゃん、何コレ新手のドッキリかしら? ボクちゃんまんまと騙されちゃったんだけっど」
「ドッキリ? 何のこと?」
 不二子が次元に寄り添って腕を組むと、次元はなんとその頬に優しいキスを落としたのだった。

Cメロ
「ぎいやあぁぁぁぁあああぁあぁぁああぁぁあぁ!!!!!」
 その声を聞きつけて、銭形はしめたと思った。近所の住人の通報でこの家にルパンらしき者が潜伏しているという情報が入り、監視を続けていたのだが、確信が無く踏み込めずにいたところだった。現場は何の変哲も無い住宅街。対象の家も普通の家だ。踏み込み違いだったらただでは済まない。
「間違いない! 今の声はルパンだ! 総員踏み込め!」
 威勢良く部下に指示を出しながら猛然と玄関へ向かったのだが。突然開いた扉に、銭形は正面から突っ込んでしまった。薄れる意識の中で最後に目にしたのは、まさかの次元と不二子の抱擁。そして。
「次元! ふざけんのも大概にしろ! 物事にはなぁ! やっていいことと悪いことがあんぞ!」
「ハッ! テメェが言っても全く説得力がねえな! 俺達はな、テメェなんざうんざりなんだよ!」

ソロ1
 手の中のコンパクトミラー越しに茶色いトレンチコートの姿を認め、不二子は眉を顰めた。いい加減もううんざりなのだ。気持ちのいい風が吹く青空の下、ここらでも有数の繁華街でショッピングとでもしゃれ込もうと思っていたのに、こんなに無粋な輩が後ろをついて来ていたら楽しむものも楽しめない。
 今朝、アジトの扉を開けたら銭形が倒れていた。その場は全員でそのまま逃げて事なきを得たのだが、しばらくすると、ルパンと別れた不二子と次元の姿を見つけて尾行するようになった。さらに撒くことを試みようと次元とも別れたのだが、銭形は迷うことなく不二子を選んで尾行を続けた。考えてみれば当たり前の話だ。次元に比べて腕力のない不二子なら簡単に捕まえられる。そして、不二子のためならルパンは目の色を変えてどんな場所へも乗り込んでくる。餌にすれば銭形の元へ飛んで入る可能性は断然高い。
「まったく、この峰不二子をダシに使おうだなんて贅沢にもほどがあるってものよ」
 そのまま、ヘアスタイルを直すふりをしてから鏡をしまう。こちらが気づいていると知ってか知らずか、銭形は大きな体をこそこそと縮めながら数メートル後ろを歩いていた。それに向かってこっそり舌を出して見せると、不二子はまた、そ知らぬふりをして歩き出した。
 平日の昼間、街は営業中のビジネスパーソンがせかせかと早足で歩いている以外は、買い物客も少なく、休日は人で溢れかえる人気カフェの店員ですらあくびを漏らすほど、至極平和に過ぎていた。人が少ないので、通りが広く感じられる。広く感じられると、解放感も増す。ショップの店員も客の一人一人に気を使う。買い物も楽しくなる。倍々で幸せが増えていく。
「平日の昼間ってのがいいのにね」
 人々があくせくとオフィスビルという牢屋に閉じ込められている間にふらりと歩くこの時間が、とても贅沢な時間だった。逆に、たまに仕事で会社に潜入しなくてはならなくなると、自由を愛する不二子にとってこの時間が一番つらい。高層で全面ガラス張りの執務室が多くなった昨今では、広くて青い空がガラス越しにしか見られないことも多いのだ。まるで篭に閉じ込められた小鳥のような気分になる。
「なのに銭形ったらどこまで邪魔をする気かしら」
 思わず文句を漏らしながら、コーヒーショップでテイクアウトのコーヒーを購入し、通りをぶらぶらして時間をやり過ごしていると、前方に見慣れた袴が見えてきた。しめたとばかりに不二子は駆け寄る。相手が二人になり、しかも一人が居合いの達人とくれば、銭形も諦めるかもしれない。
「五ェ門!」
 ショッピングウィンドウの向こうを子供のように凝視していた五ェ門は、不二子に肩を叩かれたとたん、弾かれたように慌ててその場から飛びのいた。
「そんなに驚かなくたって…。何してたのよ。女の子の下着でも覗いてたわけ?」
「ブッ! まさか! 何を申すか!」
 真っ赤になって否定する五ェ門をよそに、不二子も店を確認して中を覗き込む。しかし、別に驚くほどの店ではない。セレクトショップらしい雑貨屋だ。ブラウンでまとめられた品のある門構え。暖色の照明を施し落ち着いた店内。そのショッピングウィンドウに飾られていたのも、同じように品のあるアンティークの小物たちだった。日用品から装飾品まで、女の子たちが好みそうな雰囲気を醸し出している。
「…まさか、自分に買うわけじゃないわよね」
 念のため聞いてみると、五ェ門はまた「まさか!」と叫び、さらに真っ赤になってむせ返った。それからすぐに、しまったとばかりに口をふさぐ。が、もう遅い。見る間に不二子の顔に笑みが浮かんだ。
「あら? プレゼント? 誰にあげるつもりかしらねぇ?」
 俄然興味を持ち始めた不二子に、五ェ門は最早観念するしかなかった。
「ム…紫殿に…そ…そこの小物入れを…」
 指を差したその先には、蓋部分に紫色の小花柄をあしらった猫足の小さな木製小物入れ。どんな音楽を奏でるのか、オルゴールがついていた。札を見ても値段はそう高いものではないが、これをもらった女の子はきっと、幸せな気持ちになるだろう。五ェ門でなくとも、紫の喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。
「…いいわね」
 思わず呟いた不二子の声は、自分でも驚くほど不安定だった。それこそ、まさか。どんな表情に見えたのか、振り向いた五ェ門の目まで驚いていた。これでなかなか察しのいい男である。何か勘付かれたかもしれない。不二子は慌てて窓から目を逸らし、五ェ門の手を取り店の入口へ向かった。
「何よ、ちゃんと決まってるならさっさと買えばいいじゃない!」
 狭い店内までは入ってこなかった銭形が、二人が裏口から逃げたと知らずに数時間周辺をうろうろして、地元警官の職務質問を受ける羽目になったというのは、また別の話である。

ソロ2
「いったい何を企んでる、不二子? 俺はルパンに仕返しができればそれでいいが、お前があいつに対してああいう裏切り方をするとは思わなかったぜ」
「なんのこと?」
 地上45階の部屋から、窓辺で摩天楼と満月を眺めていた不二子が振り返る。照明を一つもつけていないリビングに、月明かりがそのシルエットをぼんやりと照らし出していた。陰影の加減で表情は見えなかったが、まつ毛の先まで光に濡れたその姿は、さすが世界中の男を虜にしているだけのことはある。冷蔵庫に缶ビールを取りに行っていた次元が、思わず缶を取り落してしまいそうになるくらいには、美しかった。
「…ケッ。しらばっくれんなよ。てめえは金を掴むためならルパンを殺しかねない勢いで裏切るだろうが。『金が絡んでいるときは』な。だがそれ以外で…」
「ねぇ」
 窓辺から離れた不二子が、言葉を遮り片手を差し出した。次元は一瞬、誘われているのかと思って焦ってから、その視線の先に気が付いた。不二子は手元のビールを見ていたのだった。
「全く、嫌な女だぜ」
 缶を投げつけたいのを我慢しながら、次元はプルトップを開けて不二子に手渡してやった。それから仕方なくもう一度冷蔵庫まで戻って自分の分を持ってくると、今度は部屋の真ん中に据えてある黒革のソファにどっかりと陣取った。
「何があったって聞いてんだ」
 ネクタイを外し、シャツのボタンを適当に外し、プルトップを開けると冷えた液体を体内に流し込む。瞬間的にアルコールが体中を駆け巡り、やっと体が一日の終わりを覚えたようだった。不二子はといえば、せっかく開けた缶をもてあまし、また窓の外へと目を向けていた。本当に、調子が狂ってしまう。
「よっぽどのことがなければ、お前はここへはこねぇだろう」
 このマンションは、次元が個人的に所有しているマンションの一つだ。アジトとして仕事で使ったことは一度もないし、ルパンや五ェ門だって訪ねたことはなかった。ましてや、次元のことを毛嫌いしている不二子がここへ来ることなど一生ないと思っていたのだが、なにをどうしてこうなったのか。
 しばらくの間、部屋に居心地の悪い沈黙が流れ続けた。
「ルパンは、表面的には紳士だし何でもしてくれるわね」
 手にした缶がぬるくなり始めたころ、不二子はやっとビールに口をつけながら唐突にそう言った。それでも手近のソファには近寄ろうともしない。目線は相変わらず、200m下の地上を眺めている。
「次元は、表面的にはああだけど、意外と私に対して優しいのよ」
 コトリと音がして、缶が傍に置いてあったチェストの上に置かれる。ゆっくりと振り返った不二子が再び、今度は間違いなく次元のことを見据えていた。本当に、目の前の男を誘っている眼だった。
「ねぇ、次元は優しさで私のことを抱いてくれるかしら?」
 ゆっくりと近寄ってきた、見るものを惑わす彼女の美脚が、組んでいた次元の両足に絡みつく。スラックスとストッキングが、衣擦れの音を漏らした。
「…おい」
「どう思う?」
 次元に跨りながら、不二子はその手から缶ビールを取り上げた。静かに手前のテーブルに置くと、右手をそっと頬の上で滑らせながら、徐々に顔を近づけていった。少しも微笑みを浮かべない。完璧なまでに整った顔が張り付かせるその表情は、無。まるで氷の女王のようだった。
「…俺が、お前を優しさだけで抱けるかだって? 冗談じゃねぇ。人を節操なしみたいに言うんじゃ…」
「違う。『次元は優しさで私を抱けるか』よ。…ルパン」
 ピクリと、次元の眉が痙攣した。
「次元と私が寝ていたら、あなたは次元に嫉妬する?」

ソロ3
 男は見事なまで素直に挑発に乗ってしまった。次の瞬間、自分に跨っていたはずの不二子をソファへと沈め、馬乗りになって両手を頭の上で拘束した。傍に引っ掛けてあったネクタイを使い縛り上げる。それから変装を解いて思わず睨みつけてやると、予想に反して手の中の女はうっとりとした表情を浮かべていた。美の女神からの恩恵をたっぷり受け取った瞳の奥で、ゆらりと何かが揺らめいた。
「気づかないとでも思ってたの? 馬鹿ね。あなたは私を甘く見すぎなのよ」
 表情とは裏腹の言葉。挑戦的に吊り上る唇。先ほどまでの今にも消えてしまいそうな雰囲気が、表面上は明らかに劣勢になっているというこの状況の中でさえ、完全に崩れ去っていた。不二子は道具を使わなくとも変装できる。ルパンは、彼女もまたプロフェッショナルだったことを思い知る。
 自分以外の前では。
「不二子」
 証拠に、名前を呼んだだけで彼女の心臓が震えたことがわかる。わずかながら、頬が紅潮したことが伝わる。暗がりの中、血色などわかるわけもないのに。ルパンの口角が自然と上がった。
「お前こそ、気づいていないのか? 俺にゃ感情がダダ漏れだぜ?」
「…どうかしら?」
 目を細めた不二子が笑う。頭の上にあった両腕を、ルパンの首の後ろにゆっくりと移動させた。自然と不二子がルパンに抱きつく格好になるが、それでも、最後体重をかけるということをしない。
「じゃあなぜ私が、馬鹿な女が男にするようなことをしたかわかって?」
「…そうさな」
 不二子の手首から肩へのラインを、片手でゆっくりとなぞりながら自分の唇を舐める。自ら輝く恒星のような瞳から目を離さずに、考える。考える。質問に対する唯一無二の回答を探し出す。正解が、答ではない。答が、正解でもない。何百通りの回答パターンとそれに対する彼女の反応、その後の展開を、予測、シミュレーション、疑似体験。ありとあらゆる事態を想像する。流れを止めるには己が身を挺して彼女を縛り付けてしまうのが一番手っ取り早いということを知っていても、ルパンはそれだけはしなかった。不二子は、「そのための女」ではない。
「俺に愛して欲しかったから…?」
 厳選に厳選を重ねた、これ以上ないほどチープな一言を投げかけた。不二子の眉が、おもしろそうにピクリとはねた。
「…逆よ」
 首の後ろに体重がかかる。ルパンが不二子の背中に手を回して抱き起こしてやると、ふわりと、5番の香りが嗅覚をくすぐった。
「あなたに嫌われたかったの、私」
 耳元で甘く囁かれる言葉。震える空気。見えない表情。心地よく感じる体重。その全てがルパンの五感を波立たせる。何を思って、何を堪えて、どんな表情をしている?自分には永遠に手に入れられないだろう瞬間が、ただ延々とやって来ては過ぎ去って行く。
「光栄だな」
 不二子の首筋に顔を埋めながら、ルパンは笑って呟いた。こんな贅沢な時間をほかに知らなかった。どんなに金を手に入れても、どんなに不可能だと言われる作戦を成し遂げても、世界中の美女を隣に置いても、どうしても手に入れられない興奮。それを、彼女がずっと握っている。

Bオチ
「お前ら…人の家で何をやってるんだ…」
「おかえりなさい、次元」
 次元が飲み屋から朝帰りすると、薄暗いリビングでは不二子が一人、優雅にコーヒーを飲んでいた。何本かビールの缶が転がっているところを見るに、昨夜は一人ではなかったのだろう。相手はわかりきっているものの、当の姿は見当たらなかった。恐らく、殴られると思って逃亡を図ったに違いない。
「…不二子、お前は何でここにいる」
「あら? 私たち昨日恋人同士になったんじゃなくて? 恋人の部屋にいて何か悪いことでもある?」
 完全にシラを切るつもりの相手に次元は早々諦めた。ルパンのことは後で思う存分殴ってやる。バカバカしい。次元は不二子の向かいのソファに腰を下ろし、煙草を取り出すと火をつけた。
 何があったと聞いてみれば、なぜか不二子は目を丸くした。次元にしてみれば、何もない不二子が自分に会いにくるはずもないから聞いただけなのだが。彼女は少しだけ言い淀んでから、口を開く。
「ねぇ…次元。『ルパン三世』を盗んで私にちょうだいと言ったら、ルパンは盗んでくれるかしら…」
 今度は次元が目を丸くする番だった。冗談でも言ってるのかと思って顔を覗くが、どうも真剣らしい。
「不二子。お前はいつから夢見るお姫様になったんだ?」
 煙草の煙を吐き掛けてそう言ってやると、不意に泣きそうな顔を見せる。本当に、女は面倒くさい。
「眠りな、子猫ちゃん。ぐっすりとな。ルパンは誰にも捕まえられやしねぇよ。…俺達は、一生胸の中で中途半端な孤独を抱えて歩くしかねぇのさ」
 窓からは、太陽が燦々と地上へ降り注いでいるのが見える。しかしそれも、ここまでは届かない。
「それが嫌ならそこらの金持ち捕まえて、平々凡々なセレブとしてでも暮らすんだな。案外そっちの方が、おめぇさんには似合ってるかもしれねえぜ」
「…なによ。馬鹿にしないでちょうだい」
 消え入りそうな声で呟いたきり、もう不二子は何も言わなかった。

Aメロ
「ルパン! てめぇ、俺が何で怒ってるかてんでわかってねぇだろうっ!?」
「えぇ!? 俺が次元ちゃんのことでわからないことなんてあるわけないでしょーが!」
「…クッ! いつの間にか機嫌直りやがったな…」
「俺が、連絡の取れないお前『だけ』に一言もなしでお前が気になってた獲物を狙った上に逃走だけ知らない間に片棒担がせたことをお前が怒ってるだなんて、そんなこと百も承知に決まってるだろう~」
「あ! てめ! やっぱりわかって…っ! よく侘びも入れずにいけしゃあしゃあと!」
「俺の不二子ちゃん取ったんだからおあいこでしょ」
「あいこじゃねぇ! 取ってもねぇ! それから俺の部屋はラブホじゃねぇ!」
「…次元。吉幾三みたいでおもしろいんだけっど…」
「ふっざけんな! 今度という今度こそは、俺はてめぇが頭下げるまで折れねぇからなっ! あーーっ! いくら頭にきてたからって、やっぱり不二子なんかの策略に乗るんじゃなかったっ!」
「やっぱ不二子の芝居だったのか…。落ち着けって次元。ホレ、ヤッコさんのお出ましだ」

Cメロ
「いたぞ! スピードを上げろ!」
 目に双眼鏡を張り付けて前方を監視していた銭形が突然怒鳴ると、場に緊張が走った。一斉に無線が飛ばされ、各車両、機体、船体に指示が下る。ハイウェイをひた走る車の中にそれらしき車体が混ざっているとの通報を受けたのが午前中、上から下から血眼になって場所を特定し、追跡を開始してから1時間が経っていたが、これからが本番だ。
「見つけたぞ、ルパン! 今日こそお縄につけいっ!」
 けたたましいサイレンとがなり声を響かせて前方のアルファロメオに宣戦布告をすると、遥か前方でルパンがこちらに気付いたのが見える。次元、五ェ門、不二子まで揃っていた。一網打尽のチャンス。運転手にさらにアクセルを踏み込ませると、ルパンは逆にスピードを落としてくる。
「とっつあんもホンットーに飽きないねぇ! 他になんかやることないの!?」
「銭形、そろそろ諦めたらどうだ!? そんなんじゃさらに女にモテねぇぞ!」
「うるせえ! てめえらが大人しく捕まれば、俺はこんな生活飽きるし女にもモテるんだよっ!」
 さて、今日はどこまで食らいつけるか。銭形は隣で運転している警察官をちらりと見遣って考えた。

Dメロ
「さ~てと、銭形も追いついてきたことだし、たーのしくなってきましたねぇ!」
 運転席でルパンが楽しそうに首を鳴らすと、助手席でシケモクを咥えた次元が眉間に皺を寄せた。
「どうせ、呼びつけたのはお前だろう」
 そう言って面倒くさそうにサイドウィンドウを開けると、マグナムを取り出し後方に照準を定める。銭形の隊列が狙撃銃を持ち出していた。現在の距離にして50メートル弱、なんてことはない。後部座席では不二子の隣で五ェ門が鯉口に手をかけていた。援護も完璧の状態で、軽く引き金に力を込める。
「キャー、じげ~ん! 頑張って~!」
 ガウンッ!
 思わぬ方向から思わぬ瞬間に飛んできた、わざとらし過ぎる黄色い声に照準は見事にずれた。狙撃手後方のパトカーに当たり、スピンしてバランスを失った車体は後ろから走ってきたパトカーを次々と飲み込んでいく。結果、銭形部隊の後方三分の一が潰れてしまうこととなった。
「ルパーン! こんなことしてタダで済むと思うなよーッ!」
 一瞬だけ後ろを向いて唖然とした銭形がまたもやガナリ声を荒くする。何やら無線で指示を出すと、パトカーの隊列が変わり、後ろからは武装したヘリコプターが容赦なく襲ってきた。
「コラァ、不二子! まだ遊んでんのか! 俺がとっつあんに仕掛けたと思われちまっただろっがよ!」
 ルパンが慌ててギアチェンジとハンドル操作を繰り返している間に、次元は恨みがましく後部座席を睨み付ける。早くもヘリに照準を定めている五ェ門の隣で、不二子は不敵な笑みを浮かべていた。
「遊びだなんてとんでもない。私は本当に次元のことを愛してるのよ」
 次の瞬間、ガクンと大きく車体が揺れた。明らかに尋常ではない衝撃と突然のエンジン停止。慣性の法則に従って思わずフロントガラスに突っ込みそうになったところを、全員で何とか耐えて運転席を見てみれば、A級ライセンスが自慢のはずの大泥棒は青い顔をして笑っていた。
「…わりぃ、エンストした」
本来ならば、車は急には止まれない。銭形と一行を乗せた大量の車が、ルパンたちに押し寄せた。

Cメロ
「っていうか次元ッ! てめえ、芝居だなんてウソだろ! 俺の不二子に何しやがった!!」
「おまえッ! この期に及んでこの場所でそのセリフはねえだろうが!!」
「ちょっとルパン! 誰が『あなたの私』ですって!?」
「…耳元でギャーギャー喚くな。煩い」
 ルパンが仲間と、非常事態とは思えないような会話を繰り広げながら脱出するのは日常である。追突されてひっくり返ったアルファロメオから何とか抜け出して、ふと振り向いてみればパトカーの群れも見事な玉突き事故を起こしていた。高速上でエンストを起こした時の、一番悪い見本のような眺めだ。
「あ! ルパン! 逃がさんぞ!!」
 同じようにひっくり返ったパトカーから這い出た銭形が、ルパンを見つけるなり飛び上がって追いかけてくる。骨の一本や二本折れていたって「軽傷」と言われそうな事故にも拘らず、ピンピンしていた。
「とっつあん! 俺なんか追いかけてるよりこの道路どうにかした方がいいんでないの~!?」
 感慨に耽る間もなくルパンが走り出せば、次元や五ェ門、不二子も後に続いて走り出す。
「黙れ黙れ! 貴様さえブタ箱に突っ込めば、交通整理でもなんでもいくらでもやってやるわ!」
 道は間もなく大きな川を渡る橋に差しかかろうとしていた。両脇にそびえ立っていた高層ビル群を抜けてみれば、青い空と、太陽を反射してきらきら光る水面、それからまっすぐ続く道だけである。
「あーばよーっ! とっつあーん!」
 ルパンたちは何の躊躇もすることなく、欄干を飛び越えて川へとダイブした。

アウトロ
 川を泳いでしばらく下ったところに、アジトはあった。港の片隅に佇んでいるバラック小屋を、住みやすいように改造した建物。見た目は寂れた廃屋の一つにしか見えないが、食料品やら家電やらソファやら、おまけにトタンで作った暖炉もどきまであるので、中は意外と充実している。
 バラバラに泳いで帰った先に、いの一番でたどり着いたのはルパンだった。とりあえず暖炉に火を入れて、びしょびしょに濡れた洋服を脱ぎ捨てて温まっていると、そのうちに次元がやってきた。何も言わずにタンスの中からガウンを二着取り出し、一着をルパンの頭の上に放る。それから自分も濡れそぼった服を着替え、アジトにストックしてあった煙草に火をつけた。
 ルパンも渡されたガウンを素肌に羽織り、暖炉に向かったまま、次元に向かって右手を突き出す。人差し指と中指だけ揃えて突き立てているのを見て、次元は溜息とも何ともつかぬ煙を吐き出し、吸いさしを相棒の指に挟んでやった。それからもう一度新しい煙草に火をつけると、今度はルパンを少し押しやって自分も暖炉の前へと陣取った。
「…本当に何にもないからな」
 苦虫を噛み潰したかのような表情が、灯に照らされている。
「知ってるよ」
 ポワポワと、ルパンが戯れのようにドーナツのように丸い煙を吐き出し答えた、その次の瞬間だった。突然小屋のドアが蹴破られ、慄いた二人の目の中に銭形の姿が飛び込んできた。
「わあ! とっつあん!」
「ルパン! 今度こそ神妙にお縄を頂戴しろ!」
 息巻く銭形の後ろには、なんと警官の一人に手錠を外された不二子と五ェ門が立っていた。
「ルパンの居場所を教えたら解放してくれるって約束だったの。ごめんなさいね、二人とも。私たち、これから紫ちゃんのところに行かなきゃならないから」
「はぁ!? なんでお前が行くんだよ!」
 狭い小屋の中で銭形の手錠から逃げ惑うルパンがもっともなことを聞くと、不二子はこれ以上ないほど完璧な笑みを浮かべて言ったのだ。
「本物の愛を探しに行くのよ」
 当然、そらないぜ不二子~、という情けない叫び声が港にこだました。



2010/10/28
Written By MOSCO


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