そして勝ち取ったもの



「オールナイト先行上映!!

この謳い文句に釣られて、三十分で完売した(とは公式の見解だが実際は少なくとも一時間以上は残ってたらしい)チケットをどうにかしてルパンが手に入れて来たのは二週間前のことだった。ちょうどその近くには関東地方での仕事を控えていたし、別に気を配るようなものでもなかったから男二人で見物に行くことにしたのだ。

 

劇場を出ると、空はもう既にうっすらと白みを帯びていた。まだ日が昇るには少々時間があるんだろうが、動きだしている人間はいる。一日を終えるため、家路へ着こうとしている者もいる。この都会特有の混沌とした雰囲気は、しかし「早朝」という世界共通の空間の中で粛々と、細々と、毎日の営みの一つとして繰り広げられていた。

「ふあぁぁ〜あぁ」

「なんだ、つまんなかったのか?」

洗練都市六本木のど真ん中であくびを噛み殺そうともしない相棒に向かって、俺は隣で眉を顰めた。洗練されてるだけあって、この街ではヤニも満足に摂取できない。そんなイライラも手伝って何だか少し言葉に棘があったかもしれない。

「お前こそ、眠すぎて不機嫌になってんじゃないの?お子様だねぇ」

「うっせ」

のんべんだらりと返してくるルパンは、明らかに眠いのだろう。一言一言の合間ですら、あくびを噛み殺すように微妙に空気の抜けた発音になっていた。俺は理由を話すのも面倒くさく(どうせ半分も聞いちゃいない)、仮にも裏の世界で生きている人間が一晩寝ないだけで目を擦るわけがなかろうという突っ込みは心の中だけに留めて置くことにした。

「眠いけど…寒い…」

しかし欲望に忠実なルパンは、半目で真っ黒なジャケットの前をかき合わせる。「眠くて寒い」をこれ以上的確に表せる表現方法を、俺は今のところ知らない。

「…全くだな。寒すぎる」

こればかりは、同意する他なかった。まだ春と呼ぶには少し早いこの季節、この時間は特に寒い。無意識のうちに、着ていた鉛色のパーカのフードを頭から被った。

「うはは。七見、ホンモンの死神みてぇ」

見ていたルパンが中途半端に指を指して笑う。眠すぎてナチュラルハイになりかけている。半ば洒落にならない台詞だが、反論すると助長することは目に見えているので、これも俺は流すことにした。

「うっせ」

「うっせうっせしか言わねーのな、七見さんってば…」

消えるように途切れた台詞に目を向けてみれば、器用な相棒はなんと歩きながら目を閉じている。惰性で真っ直ぐ歩いているが、その内にかくりと倒れこみそうな勢いだ。

「おい、こんな所で寝るんじゃねぇよ」

仕方なく肩に腕を回したものの、ルパンはもはや起きる気配を見せなかった。

あと100メートルも行けば地下鉄の駅なのだ。何駅も行かない所に、俺たちが今回アジトに決めたウィークリーマンションはある。閉まっている店を無理矢理こじ開けて入れてもらおうとは流石に思わない。頼むから、アジトまでは我慢して欲しい。

「起きろって!!

「…うん…起きてるし…」

しかし言葉とは裏腹に、ルパンはさらに俺へと体重を預けてくる。俺は、性質の悪い酔っ払いを抱え込んだ覚えはない。しかし揺すろうが殴ろうが体勢を立て直す気のないこのお子様を、何とか引き摺って駅の構内まで引っ張っていけたのは根気と努力の賜物としか言いようがないだろう。

 

「光が丘行き、まもなく発車します」

プ――という無機質な発車ベルが形ばかり鳴り響き、ポツリポツリと人間の形をした抜け殻を乗せて列車が暗闇の中に飲み込まれていく。俺はホームの真ん中に設けられたベンチの一つに腰を下ろし、ルパンは三つを占領して列車の動きに伴う轟音の中眠りこけていた。

 

「興奮したってよ」

上下線合わせて7本見送った所で、おもむろにルパンが目を覚ましてそう呟いた。発車したばかりで人も列車もいなくなったホームは嫌に静かで、平日には周りに気を配る駅員の姿も、日曜日の早朝には姿が見えなかった。

「…何が」

誰もいないのをいいことに、俺はポケットを弄り3本目となる煙草に火を点ける。ジッポを擦る音がやけに鮮明に聞こえて、無駄にザマミロという気分になった。

「『近年稀に見る秀作だ』『やっと来るべき時が来た』『監督の信念が窺える』『意欲作だ』『これからが楽しみ』『よくやった』『感動した』こんなんばーっか」

「お前まさか、通行人の呟き聞くために寒い中ここに何十分も居座ってたわけじゃねぇだろうな…」

肺一杯に吸い込んだ煙を、肺一杯に溜まった溜息と共に吐き出すと、とぐろを巻くように俺の黒い気分(の一部に過ぎない。もちろん。)は空気ダクトの中に吸い込まれてゆく。

「だーって」

ヨッ、と掛け声をかけながら起き上がったルパンは、隣に座り直すと子供のように頬を膨らませた。

「あんなんでいいんだったら、オレなんて3つの時には『ルパン』だと思ってたもんね。」

「よっく言うぜ。お前9歳までチャリンコにすら乗れなかったって、誰かに聞いたことあるぜ」

「うっせ。気分の問題だろ」

じろりと俺を睨みつけて、ルパンは俺のポケットの中からガムを1個取り出した。

「自由が欲しい、義務から逃げたい、シガラミから解放されたい。ちょーっと人より頭が良くて運動神経が良いからって、そんっなわがまま全部が通ったようによ、ぱあっと目の前が開けるんならオレだって飛んで跳ねて喜んだっつーの」

ポンッと高く放り投げた10100円のエチケットガムは、綺麗な放物線を描いてルパンの口の中に放り込まれる。一寸目標を誤ったかに見えるも、その舌先が器用にガムを絡み取った。

「でも実際はそう簡単にはいかねえじゃん」

クッチャクッチャと数回噛んで、こいつは無謀にもガム風船を作ろうとしている。チューイングガムじゃないんだからそれは流石に無理だろうと思っていると、案の定ガムは一センチ膨らんだだけで音を立てて鈍く弾けた。

ところがそれが合図だったのだ。

急にどこかで撃鉄を引く音がして、俺とルパンは咄嗟にベンチの下へ飛び込む。次の瞬間、さっきまで座っていた場所に穴が開く。連射された拳銃はサイレンサーが着いてるのかとてつもなく鈍い発射音しかしないが、それもプラスティック製のベンチに当たれば派手な音を立てる。引っ込んでいた駅員がすぐに駆けつけるのは目に見えていた。

「不自由だらけ。義務だらけ。シガラミだらけのだらけだらけ。オレが何にも繋がってねぇっつーなら、こんなに苦労はしないのに」

懐からグロックを取り出しながらルパンが愚痴る。今ならそれも同意できそうだ。あんな奴ら、俺だって面識がない。というか正確には、古いアジトに転がっていた資料で「見たことはある」。線路の向こうにチラリと見えたその顔は、昔ルパン三世に何度も煮え湯を飲まされたというどっかの歴史ある団体様の幹部だ。

続けて懐から取り出された二つのゴーグルを、一つは俺に、一つは自分で填めて、ルパンはニヤリと頷いた。

こっちはそれが合図だ。

 

俺はケツから手を回してマグナムを構える。構えた瞬間、愛銃は標的を見つけ出して照準を絞る。この場合の的中率は100。右手から発射された弾は、線路脇の電線を撃ち抜いてショートさせた。途端に辺りは暗闇に支配される。俺と、ルパンの視力意外は。

「悪人の命助けろとはいわねぇさ」

キャッ、停電!!と出口の階段付近で叫び声がした。ルパンがすかさずメトロの駅員めいた口調で客を外へ誘導する。見えないんだから、この際服装は何でも駅員のフリをした者勝ちだ。素早くサイレンサーを取り付けた俺は、無防備な客とルパンを狙った線路内のオキャクを仕留めた。

「ただよ、あまりに自分の事しか考えてないじゃんか」

ルパンが戻ってくると、駅の非常電源が入って一気に構内が明るくなった。眩しさに顔を歪めた敵に一発お見舞いして、そのまま線路の中に駆けていく相棒を追った。

「自分探して全国津々浦々旅して回った方が、誰にも邪魔されねぇしよっぽど有意義だったと思うんだよね」

地下鉄の線路内は意外と隠れる所も多い。自ら隠れるように進み、と同時に隠れた敵の気配に神経を研ぎ澄ませ、お互いに背中を預けて進んでいった。気配は8つ。少なくはないが、どうにかならない数ではない。

「結果周りがどうなるかなんてちーっとも考えてないんだから。俺が一番嫌いなタイプの人間だね、ありゃ」

「てめぇのタイプなんて誰も聞いてねぇよ」

反対方面の線路上から支柱越しにサブマシンガンの先が見えた。俺はつま先から少し左に照準をずらして引き金を引く。ギャッと鋭い叫び声が木霊して、後は何も聞こえなくなった。

「…なんか、悔しくてよ」

ホームの下から飛び出した男を、振り向いたルパンのグロッグが射止める。その間僅か。しかも一発で的確に撃ち抜いている。ちゃんと銃を持ったのが15を過ぎてからだという割には、銃の扱い易さを抜きにしてもコイツのテクニックは並外れていると思う。

「何が?」

立て続けの痛手に相手が様子を見始めた。その気配を察して俺達は再び線路を歩き出す。適当な連絡線に入って、適当な蓋を開ければ、適当な下水に出るはずだった。ルパンはもとより俺だって、あんまり一般人を巻き込むのは好きじゃない。

「知ってっか?ルパン三世のジャケットの色は何で赤いか」

「あぁ…」

クルクルと銃を弄びながら、これから話される内容とはほど遠い陽気さでルパンが聞いてきた。しかしその目は前を向いたままこちらを見ようともしない。俺は中途半端に浮いた返事を返しながら、相棒の変化に気を配る。

「確か…返り血が目立たない色…じゃなかったか?」

「…いんや。滴るほどの血を吸ったジャケットだから、だってよ」

遠くから、小さな振動が線路を伝わってきた。地下鉄の走る独特の音だ。程なくやってくる列車にか、それともたった今ルパンの口から発せられた禍々しい台詞にか、俺の背筋を冷たいものが走る。

「ま、ホントかどうかはオレにもわかんないけどね」

クシシと笑って振り向いたその表情には暗さは微塵も感じられない。

「でもよ、そういう『ウワサ』の代償を、ただの日本人は受け取れるんだろうかねぇ」

「ま…っ!!

返事をしようとした俺の台詞は続かなかった。突然、目の前で空から人が降ってきたのだ。否。振り向いたルパンを狙って宙吊りの敵がサブマシンガンを放って出てくる。

「このっ!!

ルパンの頭を押さえつけながら放ったマグナムは間一髪で男の眉間に命中し、敵は一瞬停止してどさりと落ちる。同時に後ろでも同じ音がして、振り向くとルパンが俺に押しつぶされながら一人倒していた。

「前ばっか気に取られてんじゃねぇよ」

ニヤリと笑った相棒に俺は全く同じ笑みを返していただろう。

「うっせ」

そして鳴っていた振動音が徐々に大きくなり、前方から列車がやってくる。ヘッドライトに照らされて浮き上がった反対側の敵に向かって、列車が間を横切る一瞬前に着弾させた。鮮血が先頭車両に飛んでしまったけれど、それはまあしょうがない。車輪に肉片が引っかかっていなければ、人を轢いたとも思わないだろう。俺の早撃ちにルパンが隣でヒュウッと口笛を吹いたのは、騒音に掻き消されて聞こえなかった。

「人の名前を継ぐってことはよ」

何とか列車をやり過ごし、しばらく歩くと右手に一つ連絡線を見つけた。俺達はそこへ入ることにした。滅多な事がない限り、ここには人も列車も通らない。

「その名前も歴史も全部背負うってことじゃねぇのか?」

最後に残った一人は未だに見えない。しかし俺もルパンも確信は持っていた。敵は付いて来る。

「愛も自由も正義も悪も、敵も味方も思想も血も」

全部ひっくるめての「継承」なんだよ、そう言いながら振りかぶったルパンの照準の先には、最後の一人。組織の幹部が隠れもせずに線路の真ん中に立っていた。思ったとおり付いては来ていたが、いつの間に抜かされたのだろう。俺達の行く手を遮っている。

「よぉアンちゃん、久しぶりだなぁ?四度目の正直とうまく持ってけそうかい?」

ふてぶてしいほど満面の笑みを浮かべたルパンの、銃を操る手は微塵もぶれない。コイツに、敵を生きたまま逃すという選択肢は最早ないのだろう。

「確かに、俺達は「ルパン」を殺れればそれでいい」

サブマシンガンを捨て、両手を上に持ってきた男もまた、ルパンに良く似た笑みを返す。勝算がまだあるのだろう。どれだけ自信があるのか知らないが、白旗が降参になっていない。

「例えルパンを騙る輩が山ほど出回ったら」

「出回ったら?」

「片っ端から潰して回るまでよっ!!

するりと両手が地面に落ちた。ように見せかけて、奴は袖から新しいサブマシンガンを携えて引き金に手をかける。ルパンがすかさず眉間に撃ち込み、俺は惰性で引き金が絞れないよう相手の手元を破壊する。何も負け惜しみを言えないまま、男は四度目の挑戦に一瞬で敗れ去った。

…にしても、なんて古い手だ。本物をお目にかけるとは思わなかったぜ。

「甘い」

フッと煙の上がった銃口に息をかけ、再び懐のホルスターにグロックを仕舞ったルパンは、近場にあったコンクリートの蓋を外しにかかった。どうやら出口の見当をつけたらしい。男二人がかりで開けると、途端に鼻を衝く酷い臭いが漂ってくる。間違いなく下水道だ。

「…せっかくだから、戻って隣の駅に出ればいいんじゃないか?」

酷臭に怖気づいた俺の申し出にルパンはまたニヤリと笑う。さっきまでのとは違う、自信と誇りが入り混じって捻くれた笑み。

「今の日本人にはよ、硝煙と血の匂いが入り混じったイイ男ってのは、ちょっと刺激が強すぎるだろ?」

指を指した数十メートル先に、マンホールから朝日が漏れているのが見えた。そんなに距離はないが、あそこまで歩いたら立派に浮浪者と同じ匂いがつきそうだ。でも確実に硝煙の匂いは目立たなくなる。

「ふあぁぁ〜あぁ。寝み…早く帰って寝ようよ」

大きく伸びをしながら先を歩き出したルパンに、俺は意を決してついて行くことにする。

 

「『ルパン』ってのは、そんなに安っぽい名前じゃねぇんだよ」

隣で呟いた一言は独り言だったのだろうが、俺はその一言の迫力に、奴の決意を垣間見た気がしたのだ。



2008/5/5 MOSCO

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